書きだし
何もかも、申しわけありませんでした。 わたしは、また、つぶやく。 p.3
木枯らしはうなるように、外の闇を切りさいている。 おはいり、とかすれた声にうながされ、お凜は襖障子をあけた。 p.3
すりばち団地は、すりばち状の敷地に建っているから、ゆるい坂道や階段がやたら多い。 平坦だと思って歩き出した道もいつのまにか坂道になっていたりする。 p.5
雪解け。ロシアでは十一月の下旬のことをそう呼ぶ。日本人である筆者は、雪が降り始めるこの時期をなぜ雪解けと呼ぶのか、わからなかった。 p.4
なにしろあてにならないラジオだった。ラジオ局の配布する番組表に舌を出すかのように。ラジオは気まぐれに思い思いの音を流した。どんな曲が流れ始めるか、どんな声が語り始めるかは、スイッチをひねるまで誰にも分からなかった。 p.7
空には丸くて大きな月があった。私は手に石を持ったまま、その月を見上げていた。 p.7
これは、ベッツィーという女の子のお話です。 ベッツィーは九歳で、正式な名前はエリザベス=アンといいました。 p.7
きりこは、ぶすである。 p.5
阿佐ヶ谷駅の北口でバスをおりると風が強く吹いていた。 p.3
シンシンは泉のほとりでしゃがんでいた。無言で祈りを捧げている。 p.3
天井の染みがななめ左を指している。 p.3
雪女は、当り前の話だけれど、雪がなければ生まれることができない。それもたっぷりの雪が必要なのだ。 p.16
久しぶりに豊満な胸というものをみた。 p.5
いま、ここにいる小さな男 とは私のことである。 p.6
「山」へ行ってはいけない。村の子どもたちは物心ついた時から、そう教えられる。「山」へ行ってはいけない。あそこには恐ろしいものが棲んでいる。 p.6(「朱の鏡」より)
来そうな町内の人はひととおり来たと思うから、ちょっと休んでてええよ、とホカリが言ったので、タケヤスは弁当を受け取り、関係者用の控え室に入った。 p.3
しゅぱーっと、乾いた音がして急行・中央林間行きが三軒茶屋で停まった。扉ががーっと開く。もう十時近いというのに、この駅で降りる人はいつも多い。朝も昼も電車は込んでいて、空いている時がない。 p.3
狭かった。学生時代は狭かった。 広いところに出たはずなのに、なんだかとても窮屈だった。 p.9(「第一部 あいつと私」より)
お父さんは、それはものすごいエンジンカだったのよ。 それだけを聞かされて少女は育ったという。エンジンカの説明を、母親はあまり上手にしてくれなかった。 p.5
頭上では空が旋回しながら無数の雨滴を散らしている。車輪が軋り、飛沫を上げる遠い音。すると耳許でかたかたとやかんが沸騰する。ぼんやりした頭のまま立っていって珈琲を湯で溶く。牛乳を流し込む。何も起こらないであろう今日。 p.79
ことし、数えで二十六になる。 p.7
私の名はナミマ。遠い南の島で生まれ、たった十六歳の夜に死んだ巫女です。その私が、なぜ地下の死者の国に住まい、このような言葉を発する存在になったのかは、女神様の思し召しに他なりません。面妖なことではありますが、今の私には、生きている頃よりも…
ハル、ハルという声が聞こえてきた。 p.5
新たな火柱が上がった。 p.3
○九○○に俺たちは内火艇に乗り込んだ。桟橋に立っていたときから、寒くて仕方がなかったんだが、艇が飛沫をあげて走り出せば、剃刀に変じた風が頬に首に斬りつけ尚更寒い。 p.9
しばらく間を置いてから書くといい。じっくり思い出して、物語をみつけるんだ。 p.5
――父は虎になった。 幼いころから、そう聞かされて育った。 p.4
れい子さんは、一人ぼっちで死んでいた。 p.7
リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う。彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話である。 p.5
その出来事は突然にやってきた。なんの前触れもなく。 p.3