書きだし

東直子『薬屋のタバサ』新潮社

何もかも、申しわけありませんでした。 わたしは、また、つぶやく。 p.3

西條奈加『恋細工』新潮社

木枯らしはうなるように、外の闇を切りさいている。 おはいり、とかすれた声にうながされ、お凜は襖障子をあけた。 p.3

大島真寿美『すりばちの底にあるというボタン』講談社

すりばち団地は、すりばち状の敷地に建っているから、ゆるい坂道や階段がやたら多い。 平坦だと思って歩き出した道もいつのまにか坂道になっていたりする。 p.5

鹿島田真希『ゼロの王国』講談社

雪解け。ロシアでは十一月の下旬のことをそう呼ぶ。日本人である筆者は、雪が降り始めるこの時期をなぜ雪解けと呼ぶのか、わからなかった。 p.4

瀬川深『ミサキラヂオ』早川書房

なにしろあてにならないラジオだった。ラジオ局の配布する番組表に舌を出すかのように。ラジオは気まぐれに思い思いの音を流した。どんな曲が流れ始めるか、どんな声が語り始めるかは、スイッチをひねるまで誰にも分からなかった。 p.7

田山朔美「裏庭の穴」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

空には丸くて大きな月があった。私は手に石を持ったまま、その月を見上げていた。 p.7

ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』徳間書店

これは、ベッツィーという女の子のお話です。 ベッツィーは九歳で、正式な名前はエリザベス=アンといいました。 p.7

西加奈子『きりこについて』角川書店

きりこは、ぶすである。 p.5

平田俊子『さよなら、日だまり』集英社

阿佐ヶ谷駅の北口でバスをおりると風が強く吹いていた。 p.3

ドナ・ジョー・ナポリ『バウンド−纏足』あかね書房

シンシンは泉のほとりでしゃがんでいた。無言で祈りを捧げている。 p.3

白岩玄『空に唄う』河出書房新社

天井の染みがななめ左を指している。 p.3

津島佑子「雪少女」(『電気馬』新潮社 収録)

雪女は、当り前の話だけれど、雪がなければ生まれることができない。それもたっぷりの雪が必要なのだ。 p.16

長嶋有『ねたあとに』毎日新聞社

久しぶりに豊満な胸というものをみた。 p.5

吉田篤弘『小さな男*静かな声』マガジンハウス

いま、ここにいる小さな男 とは私のことである。 p.6

森谷明子『深山に棲む声』双葉社

「山」へ行ってはいけない。村の子どもたちは物心ついた時から、そう教えられる。「山」へ行ってはいけない。あそこには恐ろしいものが棲んでいる。 p.6(「朱の鏡」より)

津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版

来そうな町内の人はひととおり来たと思うから、ちょっと休んでてええよ、とホカリが言ったので、タケヤスは弁当を受け取り、関係者用の控え室に入った。 p.3

夏石鈴子『今日もやっぱり処女でした』角川学芸出版

しゅぱーっと、乾いた音がして急行・中央林間行きが三軒茶屋で停まった。扉ががーっと開く。もう十時近いというのに、この駅で降りる人はいつも多い。朝も昼も電車は込んでいて、空いている時がない。 p.3

恩田陸『ブラザー・サン シスター・ムーン』河出書房新社

狭かった。学生時代は狭かった。 広いところに出たはずなのに、なんだかとても窮屈だった。 p.9(「第一部 あいつと私」より)

中島京子『エ/ン/ジ/ン』角川書店

お父さんは、それはものすごいエンジンカだったのよ。 それだけを聞かされて少女は育ったという。エンジンカの説明を、母親はあまり上手にしてくれなかった。 p.5

谷崎由依「冬待ち」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

頭上では空が旋回しながら無数の雨滴を散らしている。車輪が軋り、飛沫を上げる遠い音。すると耳許でかたかたとやかんが沸騰する。ぼんやりした頭のまま立っていって珈琲を湯で溶く。牛乳を流し込む。何も起こらないであろう今日。 p.79

谷崎由依「舞い落ちる村」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

ことし、数えで二十六になる。 p.7

桐野夏生『女神記(ジョシンキ)』角川書店

私の名はナミマ。遠い南の島で生まれ、たった十六歳の夜に死んだ巫女です。その私が、なぜ地下の死者の国に住まい、このような言葉を発する存在になったのかは、女神様の思し召しに他なりません。面妖なことではありますが、今の私には、生きている頃よりも…

井上荒野『雉猫心中』マガジンハウス

ハル、ハルという声が聞こえてきた。 p.5

矢野隆『蛇衆』集英社

新たな火柱が上がった。 p.3

奥泉光『神器<上> 軍艦「橿原」殺人事件』新潮社

○九○○に俺たちは内火艇に乗り込んだ。桟橋に立っていたときから、寒くて仕方がなかったんだが、艇が飛沫をあげて走り出せば、剃刀に変じた風が頬に首に斬りつけ尚更寒い。 p.9

クリス・クラッチャー『ホエール・トーク』青山出版社

しばらく間を置いてから書くといい。じっくり思い出して、物語をみつけるんだ。 p.5

柳広司『虎と月』理論社

――父は虎になった。 幼いころから、そう聞かされて育った。 p.4

木村紅美「風化する女」(『風化する女』文藝春秋 収録)

れい子さんは、一人ぼっちで死んでいた。 p.7

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋

リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う。彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話である。 p.5

中島桃果子『蝶番』新潮社 

その出来事は突然にやってきた。なんの前触れもなく。 p.3