有川浩『阪急電車』幻冬舎

「……あんた、結婚準備中に浮気したあげく、生でやったの!?」  (「宝塚南口駅」 p.24)

 やだな、と翔子は小さな声で呟いた。
「いいもの見ちゃった」
 恋の始まるタイミングなんて。――今きつすぎる。  (「宝塚南口駅」 p.30)

 その瞬間、こらえる間もなく涙が瞼を乗り越えた。
 そうよ、あたしは花嫁さんになりたかったのよ。五年も付き合ったあの男の横で。惰性や妥協で恋が始まったんじゃなかった、さっき電車を飛び出していったあの彼と彼が追った彼女のように。少し頼りないけど優しい彼が好きだった。結婚準備のときはその頼りなさが徒となったが、そんなマリッジブルーは一過性だと信じていた。
 少なくとも、あの小狡い女にあれほど彼に幻滅させられて終わりたくはなかった。 
 新婦は彼をただ奪ったのではなく、翔子と彼の五年間の恋を踏みにじって終わらせたのだ。 
 そんな男くれてやるわよと言わざるを得ないほどに踏みにじられたのだ。  (「宝塚南口駅」 p.31)

 あたしはえっちゃんより年上やのに、見た目とノリに流されていいだけ彼氏に振り回されて。男見る目やったらあたしよりえっちゃんのほうが全然上や。  (「甲東園駅」 p.81)

 そして電車がホームを滑り出た。西宮北口から宝塚までを遡る車中、乗客たちがどんな物語を抱えているか――それは乗客たちそれぞれしか知らない。
 人数分の物語を乗せて、電車はどこまでもは続かない線路を走っていく。  (「西宮北口」 p.107)

 それにな、と女子大生は急に険しい顔になった。
「価値観の違う奴とは、辛いと思えるうちに離れといたほうがええねん。無理に合わせて一緒におったら、自分もそっち側の価値観に慣れてしまうから」  (「門戸厄神駅」 p.139)

「それはイヤ―――!・・・・・・・頑張るから頑張って」  (「仁川駅」 p.167)

 こんな年でも少女たちはもう女だった。卑しく、優柔不断で、また誇り高い。
 あんな幼い、小さなコミュニティの中に、既に様々な女がいた。  (「小林駅」 p.167)

「あなたみたいな女の子は、きっとこれからいっぱい損をするわ。だけど、見てる人も絶対いるから。あなたのことをカッコいいと思う人もいっぱいいるから。私みたいに」
 だから頑張ってね。
 翔子がそう言うと、××さんはハンカチから顔を上げた。
「お姉さん、幸せ?」
――痛いところを衝かれた。苦笑しながら答える。
「幸せになるはずだったんだけど、ちょっと失敗しちゃってやり直し中かな」  (「小林駅」 p.179)

「でも、後悔はしてないわ。ちょっと出遅れたけど、絶対幸せになるわよ」
「じゃあ、ショウコもがんばる!」  (「小林駅」 p.179)