2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

道尾秀介「悪意の顔」(『鬼の跫音』収録)

「それなら、その子をここに入れてしまえばいいじゃない」 p.210

道尾秀介「鈴虫」(『鬼の跫音』収録)

私はね、刑事さん。私はいつも思うんですが、この世は完全犯罪だらけですよ。やったことを他人に気づかれさえしなければ、それは完全犯罪なんです。あなただって、いくつ完全犯罪を犯してきたかわかったもんじゃない。人間なんてね、生きてるだけでみんな犯…

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋

「きっち他のところに特別手を掛けて下さって、それで最後、唇を切り離すのが間に合わなくなったんじゃないだろうか」 「他のところ、って?」 「それはおばあちゃんにも分からないよ。何せ神様がなさることだからね。目か、耳か、喉か、とにかくどこかに、…

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋

リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う。彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話である。 p.5

辻村深月「雪の降る道」(『ロードムービー』講談社より)

自分の持っているもの全てを、ヒロの前に投げ出した。いつだって、そうだった。みーちゃんの宝物も笑い声も、いつだって彼女本人のためのものではなかった。そうすることで、彼女はヒロから悲しみだけを受け取った、ヒロの悲しみを漠然としか知らなかった彼…

辻村深月「道の先」(『ロードムービー』講談社より)

胸に、目の前のこの子の作り笑いと、笑った一瞬後ですぐ無表情に戻る、さっきの千晶の作り笑いとが同時によぎった。対照的な二つだが、この年頃の少女にとって、一体どっちが年相応の表情なのかはわからなかった。ただ、十四か十五の少女に強いられる作り笑…

辻村深月「ロードムービー」(『ロードムービー』講談社より)

「自分自身が何かされたわけじゃないのに、友達のために泣くんだ。それができるような人が、この中に何人いると思う?」 p.56 「俺、トシちゃんとどこまででも行きたいと思ってた。どんなこともできると思ってた。でもダメだ。俺は行かなくちゃいけない。も…

中島桃果子『蝶番』新潮社

こうして無邪気に虹は主役を奪っていく。今は菓子から。時々ナメから。 理解して欲しくて理解してもらえるから、人は人前で涙を流すんとちゃうんか。 p.60 あたしや菓子が大人になってきたように、虹だって、ナメだって、大人になっていくんや。というか、…

中島桃果子『蝶番』新潮社 

その出来事は突然にやってきた。なんの前触れもなく。 p.3

鹿島田真希「嫁入り前」(『女の庭』収録 河出書房新社)

結婚という言葉をイメージする土人形は確かになかったけれども、彼は結婚するのだったら、私の子宮の中の糞を取るという。私は結婚という言葉が受肉した土人形なんだと思った。子宮が空の土人形。それを作るのにはきっと技がいるだろう。なにしろ中が空洞な…

鹿島田真希「嫁入り前」(『女の庭』収録 河出書房新社)

母親はため息をついた。そして粉末のプロテインを牛乳で溶いたダイエット・ドリンクをテーブルに置いて、ぴったりと胸に近づける。 p.87

鹿島田真希「女の庭」(『女の庭』収録 河出書房新社)

こうして私は普通の主婦に堕落していった。独身時代に、穏やかだと思って私を魅了した夫は、堕落した主婦を製造する装置だったのだ。 p.16 そして私はまた、井戸端会議に参加するのだ。主婦たちと話していると、私は生きていると実感する。このつまらなさ、…

鹿島田真希「女の庭」(『女の庭』収録 河出書房新社)

息がつまる。母、母、母親に囲まれていて、私は息をつまらせている。別に私には特別なところはない。自分はいい意味でも悪い意味でも、普通の主婦だ。どういうところが普通かと聞かれて、答えていたらきりがないけれども。だって、普通であることを、当たり…

三崎亜記「蔵守」(『廃墟建築士』収録)

私はなぜ、守り続けるのだろう。 そのことに、疑念を持ってはならない。 それが、私の存在意義でもあるからだ。 疑念は心を乱し、動きを妨げる。 いつ、どんな形で訪れるかも知れぬ「その時」に、一片の迷いもなく自らの職務を遂行するために。私は守り続け…

三崎亜記「廃墟建築士」(『廃墟建築士』収録)

「廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めるようになった、『魂の安らぎ』の空間なのです」 p.61〜61 廃墟が人々を癒すものであるならば、…

三崎亜記「七階闘争」(『廃墟建築士』収録)

「アルファベットや五十音だって、配列はあくまでも便宜的なものでしかないでしょう?階数もそれと同じなんです。一階の上に二階、二階の上に三階って順序に置かれているのは、混乱を来さないように便宜的に定められただけ。現に、世界最初の七階は、地面の…

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房

わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに、だれでもいいから何か別の言…

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房

煙たい味のする雨が下唇に落ちて、わたしは舌うちをした。 p.3 なぜわたしは雨が降る廃車置場で、イノギさんが10年ほど前になくした自転車の鍵を探しているのか。イノギさんとの出会いから探すことになった経緯までを描く小説。

山本兼一『利休にたずねよ』PHP研究所

――どうしてあそこまで、茶の湯の道に執着するのか。 p.40(秀吉「おごりをきわめ」) 利休の傲岸不遜のかげには、美の崇高さへのおびえがあったのか。 ――利休殿は、美しいものを怖れていた。 p.56(細川忠興「知るも知らぬも」) 慇懃かと思えば傲慢。繊細…

平田俊子「亀と学問のブルース」(『殴られた話』収録 講談社)

「同姓同名の人に会うのって初めて」 「わたしも」 「わあ。こういう顔をしているんだ」 「こういう顔かあ」 「和美って名前、わたし嫌いなんだよね」 「同じ同じ。わたしも嫌い」 「人に説明するのは簡単だけど、いい名前だねとはいってもらえないよね」 「…

平田俊子「亀と学問のブルース」(『殴られた話』収録 講談社)

子どものころ、わたしには特別な力があった。走っている車を一瞬のうちにとめることができたのだ。 p.105

平田俊子「キャミ」(『殴られた話』収録 講談社)

わたしを恋しく思う気持ちが電話をひとこえ鳴らすのだ。カズミ、どうしてる。お前と別れて俺は寂しいよ。時々無性に会いたくなる。お前を強く抱きしめたくなる。でも、俺にそんなことをいう資格はないよな。どこかで偶然会わないものかな。そしたら俺たちも…

平田俊子「キャミ」(『殴られた話』収録 講談社)

ショッキングピンクの塀の前までくると急に切なさがこみあげてきた。立ち止まって塀をなでながらあなたのことを考える。あなたはきょうこの塀にさわっただろうか。きのうやおとといはどうだろう。あなたのぬくもりが残っていないか、手をすべらせて確かめる…

平田俊子「殴られた話」(『殴られた話』収録 講談社)

妙な具合に傷ついていた。宇宙にほうり出されたみたいに、自分が誰ともつながっていないと感じた。椎名のことを思った。ひどく遠かった。何十年も昔に死んだ男のようだった。 p.54 じわじわと悔しさの水位が上がっていく。あんな女にどうして殴られなければ…

平田俊子「殴られた話」(『殴られた話』収録 講談社)

女の右腕が飛んできてわたしの首を激しく打った。鈍い音が店の中に響き渡り、居合わせた人たちが一斉にこちらを見た。女は薄笑いを浮かべている。思い知ったか、もう一発殴ってやろうかという顔だ。わたしはあわてて逃げ出した。途端に、背中に衝撃を感じた。…

北山猛邦『踊るジョーカー』東京創元社

「いいか悪いかの問題ではないな。やらなきゃいけない。それが『正しい』ってことだ」 「名探偵は『正しい』?」 「そうとは限らないが……」 人生を懸けたトリックで他人を殺害し、運命を変えようとする人々。探偵はその運命を矯正する力を持つ。それだけに躊…

千早茜『魚神』(いおがみ)集英社

「白亜、恐ろしいのと美しいのは僕の中では同じだよ。雷も嵐も雷魚も赤い血も。そういうものにしか僕の心は震えない。どちからしかないとしたら、それは偽物だ。恐ろしさと美しさを兼ね備えているものにしか価値は無いよ。僕はそう思っている。白亜、顔色が…

千早茜『魚神』(いおがみ)集英社

この島の人間は皆、夢を見ない。 島の中ほどにある小さな山の上に朽ちかけた祠があり、そこに棲む獏が夢を喰ってしまうのだ。島に住む人々の心は虚ろで、その夢はあまりにも貧しいため獏はいつも飢えていて、島の灯りに惹かれ訪れた客人の束の間の惰眠ですら…

ドナ・ジョー・ナポリ『わたしの美しい娘』ポプラ社

このリュートは魅力的だ。ひとりの女が娘のために買い求め、それを娘がその娘に与え、それがそのまた娘に渡る。母がわたしにバイオリンをくれて、それをいつの日かわたしがツェルに与えるのと同じだ。このリュートは一家の歴史をつないでいく。わたしのバイ…

ドナ・ジョー・ナポリ『わたしの美しい娘』ポプラ社

「かあさん、またあのカモ、巣を温めてる」ツェルは窓から思いきり身を乗り出した。 p.10