作品な行

長嶋有『ねたあとに』毎日新聞社

今、我々が皆この世からいなくなったら……。将来ここを発掘し、この卓を発見した考古学者は“分かる”だろうか。 p.32(その一 ケイバ) 不意に昨年のことを思い出す。同じコタツの同じ位置でコモローが放った言葉を。 「俺が寝た後に、皆がものすごく楽しい遊…

長嶋有『ねたあとに』毎日新聞社

久しぶりに豊満な胸というものをみた。 p.5

生田紗代「ぬかるみに注意」(『ぬかるみに注意』収録)講談社

なければ楽だろうと常々思っていたのに、実際生理が来なくなってこれほど動揺するとは自分でも思わなかった。 p.12 テーブルの隅には、歴代の女性社員が置いていった古い少女漫画が積まれている。読みかけの『スケバン刑事』を手に取り、食べながら読んだ。…

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋

「きっち他のところに特別手を掛けて下さって、それで最後、唇を切り離すのが間に合わなくなったんじゃないだろうか」 「他のところ、って?」 「それはおばあちゃんにも分からないよ。何せ神様がなさることだからね。目か、耳か、喉か、とにかくどこかに、…

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』文藝春秋

リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う。彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話である。 p.5

三崎亜記「七階闘争」(『廃墟建築士』収録)

「アルファベットや五十音だって、配列はあくまでも便宜的なものでしかないでしょう?階数もそれと同じなんです。一階の上に二階、二階の上に三階って順序に置かれているのは、混乱を来さないように便宜的に定められただけ。現に、世界最初の七階は、地面の…

平田俊子「殴られた話」(『殴られた話』収録 講談社)

妙な具合に傷ついていた。宇宙にほうり出されたみたいに、自分が誰ともつながっていないと感じた。椎名のことを思った。ひどく遠かった。何十年も昔に死んだ男のようだった。 p.54 じわじわと悔しさの水位が上がっていく。あんな女にどうして殴られなければ…

平田俊子「殴られた話」(『殴られた話』収録 講談社)

女の右腕が飛んできてわたしの首を激しく打った。鈍い音が店の中に響き渡り、居合わせた人たちが一斉にこちらを見た。女は薄笑いを浮かべている。思い知ったか、もう一発殴ってやろうかという顔だ。わたしはあわてて逃げ出した。途端に、背中に衝撃を感じた。…

小路幸也『残される者たちへ』小学館

きれいなんだ。本当にきれいなんだ。 トトロみたいな野山じゃなくこんな寂れていく都市の風景が、俺の故郷なんだ。そしてそれを美しいと思うんだ。心からそう思う。 p.13 「あまり悩まなくていいと思うんだ。きっとそれは幸せな印なんだ。みつきがこの先の…

小路幸也『残される者たちへ』小学館

団地が、ぼくの家だ。 p.3(プロローグ)

川上弘美「長い夜の紅茶」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

平凡と、平均的とは、ちがう。というのが、わたしの持論だ。 何千人ぶんもの顔をかさねてコンピューター処理し、目鼻の位置や大きさを平均化した顔を造形すると、それはいわゆる「美人」「美男」になる、という新聞記事を、以前読んだことがある。 平均とは…

堀江敏幸「苦い手」(『未見坂』新潮社収録)

肥田さんは勉強が「苦手」だった。「苦手」という言い方は、じつに便利で、しかも傲慢だ。中学高校を通じて、肥田さんには「苦手」でないものなど、ひとつもなかったからである。 p.54 「そういうときには、嘘でもなにか書き入れるものだよ。じゃあ、苦手な…

小池昌代「野うさぎ」(『ことば汁』収録)中央公論新社

長く忘れていた欲望が、わたしの身体のすみずみまでいきわたり、身体じゅうを緑色に染め上げていく。赤い血のかわりに、緑色の濃い血が、身体じゅうに音をたてて流れ始めたようだった。 森の道は危険だ。ここを歩くと、ときどき、わたしがわたしでなくなって…

小池昌代「女房」(『ことば汁』収録)中央公論新社

「人を殺すと、夜の森が見えるのね」 「違うだろ、夜の森を見たんだろ」 「見たというより見えたのでしょうよ。それは心象の風景じゃないの?自分の心が、そっくりそのまま、自分の外側に見えたんだわ。怖かったでしょうね、さびしかったでしょうね」 p.13

大崎梢『夏のくじら』文藝春秋

恋は水色だっけ。いいよね、水色。やっぱり空と海の色だよね。私、これだけは迷わないでいようかな。たくさんの色の中から、自分で選び取った色だもん」 p.87 けど踊りはええぞ。ぜんぜん別の世界をくれる。からっぽな自由があるがよ。それやき――」 「は?…

大崎梢『夏のくじら』文藝春秋

集合の合図を受けて木陰から日向に出た。降り注ぐきつい日差しが、むき出しの腕にあたって痛い。 p.5

山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』講談社

小笠原はこのメールを見た途端、ぐしゃりと音がして体が潰れ、目から体液がほとばしり出たような気がした。だが電車内だったので、実際にはクールな顔を保っていた。人前で泣けるほどの年ではなく、小笠原はもう二十三なのだ。 p.91 それにしても、終わりを…

山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』講談社

こういうマンホールの蓋へ、雨上がりにゼラチンを撒いたら、ぺらぺらのゼリーができるだろう。渋谷の空は白く、道路は湿っている。 p.3

島本理生『波打ち際の蛍』角川書店

「なんというか、世界の終わりみたいな夜です」 p.43 信じられないんです、と私は首を振った。強く振った。 「道端でいきなり殴られたり刺されたりしないことを。ホームに立ってて背後から突き落とされないことを。知らない人が、意味もなく私を蔑んだり疎…

島本理生『波打ち際の蛍』角川書店

私は、何度も蛍との約束を破ってしまったけど、海へ行きませんか、という誘いにだけは、こたえることができた。 p.3

上橋菜穂子『流れ行く者 ―守り人短編集―』偕成社

あれは浮き籾だってね。実がしっかりはいっていないから、ふらふら浮いちまう。ちゃんと実ることもない、すかすかの籾だって。」 p.19(「浮き籾」より) いかにもカンバルの武人らしい考え方だぜ。生きるも死ぬも己れの力ひとつ。刃を抜くときは己れの命を…

石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』福音館書店

ノンちゃんは、いま泣いたと思ったら、もう笑うような子じゃありません。泣いているといったら、泣いているのです! p.15

石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』福音館書店

いまから何十年かまえの、ある晴れた春の朝のできごとでした。 p.1

山崎ナオコーラ「人間が出てこない話」(『論理と感性は相反しない』講談社より)

薔薇が赤いのは虫に蜜を吸ってもらいたいから、リンゴが赤いのはキスをせがんでいるから。 p.28 マグマが赤いのは地球の生理みたいなもんで、石が灰色なのはそれが宝石ではないから。ちなみに、宝石がキラキラしているのはみんなに愛されたいから。 p.28

伊坂幸太郎「残り全部バケーション」(『Re-born はじまりの一歩』実業之日本社 より)

「頼むぜ。車間距離ちゃんと取っておけよ。いいか、距離感なんだよ、人生は」 p.237 溝口さんが苦笑する。「それなら何か、自分探しの旅にでも行くのかよ」 「自分探し?探さないですよ。俺、ここいますから」どうして、そんな意味不明なことを溝口さんが言…

伊坂幸太郎「残り全部バケーション」(『Re-born はじまりの一歩』実業之日本社 より)

「実はお父さん、浮気をしていたんだ」と食卓テーブルで、わたしと向かい合っている父が言った。「相手は、会社の事務職の子で、二十九歳の独身で」 p.229

恩田陸『猫と針』新潮社

タカハシ:(大きく頷いて)最近特に、加害者と被害者は紙一重で、めまぐるしく立場が入れ替わるからね。気をつけないと、今自分がどっち側なのかすぐに分らなくなる。本人は毎日ボーッとおんなじ場所に立ってたつもりなのに、昨日は被害者で、明日は加害者…

恩田陸『猫と針』新潮社

猫と針作者: 恩田陸出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2008/02メディア: 単行本 クリック: 13回この商品を含むブログ (46件) を見る 私たちは新宿で飲んでいた。 p.4(『猫と針』口上 より) 真っ暗な舞台、パッと明かりがつくと、サトウとタナカ、スズキとタ…

エリザベス・ボウエン「猫は跳ぶ」(『猫は跳ぶ』福武文庫 収録)

客のひとりミュリエル・バーカーは怪訝そうにテラスから建物を見上げながら言った。 「ねえ、あの人達、たまには思わないのかしら……私のいいたいことおわかりでしょう?」 p.88

エリザベス・ボウエン「猫は跳ぶ」(『猫は跳ぶ』福武文庫 収録)

ベントリィ殺人事件の後、ローズ・ヒルは二年間、空き家のままだった。 p.85