長嶋有『ねたあとに』毎日新聞社

 今、我々が皆この世からいなくなったら……。将来ここを発掘し、この卓を発見した考古学者は“分かる”だろうか。  p.32(その一 ケイバ)

 不意に昨年のことを思い出す。同じコタツの同じ位置でコモローが放った言葉を。
「俺が寝た後に、皆がものすごく楽しい遊びとか会話をしていたら悔しいじゃないか」「翌朝、皆で俺の知らない昨夜の出来事について目配せとか思い出し笑いとかされたりしてみろ」それで、この山小屋では皆が牽制し合って、いつまでも寝ないのだ、と。
 ……一年後の今、考えよう。私が寝た後に、三人がものすごく楽しいことをやって、翌朝の食卓でもまだその話で盛り上がっているところを。
 一向、かまわない。まるで、かまわない。  p.41(その一 ケイバ)

「ムシバム」は、本当はこの家を撮っているのである。家というよりは、単なる「景色」を。景色から意味を――それは「素敵な」とか「淡々とした」、または「過酷な」とか、ありとあらゆる意味を――抜き取って景色だけ(“だけ”に傍点)を、保存したいのだ。虫は、意味を抜き取るための「方便」だ。  p.126(その三 ムシバム)

 そういった全てを、私だけが知っている。不思議な気持ちだ。私が知っているということと、知っているのが私ということの、両方が。
 知りたいわけではない人がすべてを把握する。そういう状態を、なにに喩えよう。知っていて、楽しい気持ちなのかというと、そうでもない。とにかく二人の深刻な顔が、ものすごく不思議にみえるのだ。
 不思議だけど、もうダメだ。  p.307(その七 軍人将棋

「大丈夫? 頼まれたらなにを書くの」頼まれてないのに、私はつい心配になった。
「オレ? オレが新聞連載することがあったら、もう、サスペンスあり、大恋愛あり、次の日が待ち遠しくてたまらない感動巨編を書くね」本当かね。  p.329(その八 ダジャレしりとり)

 気の合う人間たちと、(年季が入った)ナガヤマ山荘に避暑に訪れて過ごすまったりした時間が心地よい。なんとも言えない親密な空気感を描いて、とても巧いなあと感心してしまう。ほっとんどが山荘での時間潰しのゲームの記述なんだけど、ナガヤマ家オロジナルゲームがどれもユニークで、読んでるだけじゃなくて参加したくてたまらなくなる。
 ケイバ、顔、ムシバム、それはなんでしょう、過去の遊び、また顔、軍人将棋、ダジャレしりとり