山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』講談社

 小笠原はこのメールを見た途端、ぐしゃりと音がして体が潰れ、目から体液がほとばしり出たような気がした。だが電車内だったので、実際にはクールな顔を保っていた。人前で泣けるほどの年ではなく、小笠原はもう二十三なのだ。  p.91

 それにしても、終わりを認識する感度を、人間はどのように身につけてきたのか。
 日本文学の授業で、「小説や音楽のような、時間性のある芸術は、必ず終わりの予感があるものである」と習ったが、小笠原には終わりの感覚が分からない。終わってない、全然終わってない。  p.97

 もしこの先、自分向きの場所へ進んでも、きっと同じだ。どんな業界でも、可愛くて社会性のある人だけが生き残れるのだ、と小笠原はうすうす気がついていた。  p.104

将来に繋がる就職活動よりも、先のないサークル活動に力を注ぐことがばからしいこととは、小笠原には決して思えない。恋人ではない男の子と音楽を作ることが、ストイックで、刹那的で、高潔な活動で、今しかできない大事なことなのだ、と思う。  p.105

芸術的共感は愛情には繋がらない。  p.142

小笠原は好きな人とラーメンを食べたことがない。小笠原を好きな人がいない。小笠原を雇いたいと思っている人もいない。社会から必要とされていないのだ。小笠原は真剣にひとりっきり。今まで生きてきて、誰からも好かれたことがない。  p.149 

 大学のマリンバサークルの中で、協調性がなく芸術志向の小笠原はちょっと浮いた存在だ。大学4年になった最後の年、かねてから思いを寄せていた指揮者の田中とつきあいようになって、、、。
 サークルという狭い社会での人間関係の機微、それに青臭くって気恥ずかしくなってくる青春が非常によくかけてると思う。内容はというと、まさに「長い終わりを終わらせる」ためのお話。読み心地は痛くて苦いが、小笠原が愛おしくてたまらなくなる。その後の彼女がとても気になる(小笠原がナオコーラに重なって見えてしまう私だったり) 。