作家や・ら・わ行

吉田篤弘『小さな男*静かな声』マガジンハウス

すでに小島さんのもとから離れていた時間の係員が、どこからか音もなくするすると忍び寄り、小さな男の背中を「ついに」と軽く叩いて無表情のまま去っていった。 p.94(「小さな男 #3」より) 「大きな愉しみは時として気紛れだが、ちょっとした愉しみは決…

吉田篤弘『小さな男*静かな声』マガジンハウス

いま、ここにいる小さな男 とは私のことである。 p.6

矢野隆『蛇衆』集英社

「生きるための対価であれば、銭でなくてもいい。俺達は人を殺す術を売っている。誰のためでもない。己のために人を殺す。そしてみずから殺めた命を喰らい、生きている」 p.52

矢野隆『蛇衆』集英社

新たな火柱が上がった。 p.3

柳広司『虎と月』理論社

けれどぼくは、この旅の前と後で、自分がすっかり変わったことに気づいていた。 ぼくは、父には合えなかったが、父がなぜ虎になったのか(ここまで傍点)その謎を自分で解き明かしたのだ。 それは、ぼくがこれからの人生を生きていくために必要な、自分なり…

柳広司『虎と月』理論社

――父は虎になった。 幼いころから、そう聞かされて育った。 p.4

山崎ナオコーラ「お父さん大好き」(『手』文藝春秋収録)

「いたわり」という感覚が全ての人間に備わっているのは不思議だ。 落ち込んでいるときには必ず、周りの人から励まされる。 悩み事など決して相談しないような遠い相手から、急に優しくされるのだ。 さんさんとふりそそぐ日光のように。 p.127 自分のレゾン…

山崎ナオコーラ「わけもなく走りたくなる」(『手』文藝春秋収録)

昔から私は、変わっていない。ときどき、わけもなく走りたくなる。 p.123

山崎ナオコーラ「笑うお姫さま」(『手』文藝春秋収録)

「ひとりの男に『いい女』と思われたら、それで満足した方がいいのかしら」 「そうだろう」 「ふうん」 p.111 女は泣き続けた。「私のライフ・ワークが、『王の前で笑うこと』だけだったなんて、むなしいったら。泣けるわ」。変な人生。 p.113

山崎ナオコーラ「手」(『手』文藝春秋収録)

ストロベリー味は、現実の苺とは似ても似つかないものだが、日本人が共通して持っている「お菓子の苺味」というものの、明るく薄っぺらい風味がして、頭を撫でられている気分になる。 p.21 私にとっては、こういう男は意味があるというか、いて欲しいという…

山本兼一『利休にたずねよ』PHP研究所

――どうしてあそこまで、茶の湯の道に執着するのか。 p.40(秀吉「おごりをきわめ」) 利休の傲岸不遜のかげには、美の崇高さへのおびえがあったのか。 ――利休殿は、美しいものを怖れていた。 p.56(細川忠興「知るも知らぬも」) 慇懃かと思えば傲慢。繊細…

連城三紀彦『造花の蜜』角川春樹事務所

「造花でも本物の蜂を呼び寄せることはできる」 p.126 どんな人間にも、見かけとは違う中身がある。誰もが何らかの嘘をつき、自分を飾っている。 p.273 彼女は、それを本物の花だと言ったが、生きた花に薬品処理をほどこしたミイラのような花が、彼の目に…

山崎ナオコーラ「私の人生は56億7000万年」(『29歳』収録 日本経済新聞出版社)

「本、本。この先の人生において、恋人がいても本がないのと、本があっても恋人がいないのと、どっちがいい? って聞かれれば、迷わず本のある人生よ」 p.14 誉められたい。人から認められないと、生きている気がしない。 でも周囲から正当に評価されている…

山崎ナオコーラ「私の人生は56億7000万年」(『29歳』収録 日本経済新聞出版社)

「私はー、本がー、大好きだー。私はー、本がー、大好きだー」と心の中で、念仏のように繰り返しながら、カナは都内の大型書店でアルバイトをしている。 p.7

よしもとばなな『彼女について』文藝春秋

「私は、私として生まれてきて、私にしかできない感じ方と考え方を持っていて、ただそのことだけでもう、いいと思うの。決して悲しくはないよ。」 p.67 「だって、なによりも今目の前のことが大事だもの。そこが落ち着いていれば、あとは気にならないの、気…

よしもとばなな『彼女について』文藝春秋

私が昇一と最後に会ったのはふたりが小学校に上がる直前くらいのときだっただろうか。 p.5

山本弘『詩羽のいる街』角川書店

「マンガもライトノベルも立派な読書ですよ」明日美さんは優しく微笑んで言った。「どんなジャンルでもそうですけど、駄作や凡作もあれば、傑作もいっぱいあります。そういうのを見つけ出すのが楽しいんです」 p.53(「第一話 それ自身は変化することなく」…

米澤穂信「玉野五十鈴の誉れ」(『儚い羊たちの祝宴』新潮社 より)

「わ、わたし、わたしは。あなたはわたしの、ジーヴスだと思っていたのに」 暗い夜のせいで見間違えたのだろうか。ほんの少し、五十鈴の表情が動いた気がした。 「勘違いなさっては困ります。わたくしはあくまで、小栗家のイズレイル・ガウです」 p.181

吉田修一『元職員』講談社

「だって、この国に来てる奴なんて、みんな嘘っぱちでしょ?(中略)みんなここに来て、本当の自分偽って楽しんでんだから、それでいいじゃないっすか。 p.51 「ええ、嘘。……嘘って、つくほうが嘘か本当か決めるもんじゃなくて、つかれたほうが決めるんです…

吉田修一『元職員』講談社

背景の風景が、すとんと抜け落ちたような気がした。突然、断崖絶壁の先端に後ろ向きで立たされたような感覚だった。 p.3

吉田修一「恋恋風塵」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

何が悪かったのではなく、何が良かったのかを考えながら、終わる関係というのもあるのだろう。 p.148

吉田修一「旅たびたび オスロ」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

郊外の小さなカフェに立ち寄って、何を期待したというわけではなかったが、普通だなぁと、ふと思った。旅先で見つける普通というのは、なぜこんなにも愛おしいのだろうか、と。 p.100

吉田修一「自転車泥棒」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

自転車がそこから消えたというよりも、自分自身がふっと消されたような感じだった。 p.19

椰月美智子「甘えび」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社   

まったく、うんざりだと思う。今見ているこのくだらないテレビ番組も、子どもの汚れた上履きも、夫の丸みを帯びた首も、鏡にうつる目尻のしわも。私はなんでこんなことに気付いてしまったんだろう。気付いてしまった自分にがっかりだ。 人は毎日生まれて、毎…

椰月美智子「七夕の夜」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

かなえはこの夜に、自分というものは自分でしかあり得ない、ということを悟った。たとえ自分で選択できなかったとしても、自分の気持ちだけは、他人に侵されないことを知った もちろん、そういうふうに意味付けできたのは、かなえがいろんなことを自分で選択…

椰月美智子「たんぽぽ産科婦人科クリニック」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

繭子は振り返って、たんぽぽ産科婦人科クリニック、と書いてある黄色い看板を眺める。そして、縮図、と声に出して言ってみた。 p.78

椰月美智子「城址公園にて」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

一人になって困ることってなんだろう。こんなつまらないメールを返信してきた男がいなくなって困ることってなんだろうか? p.25

椰月美智子「彼女をとりまく風景」(『みきわめ検定』収録 講談社)

「えっ、なんで?」 と言ってしまった瞬間に、彼女は後悔した。男が別れると口に出したときは、すでにそれは決定されていることで、なにをどうしたって、くつがえされることはないことを彼女はよく知っていた。 「なんで、なんで?」 気持ちと言葉が必ずしも…

椰月美智子「と、言った。」(『みきわめ検定』収録 講談社)

「セミが鳴いてる、と、言った」 「えっ、本当?」 孝太郎は耳を澄ませてみる。でもセミの声は、ぜんぜんきこえなかった。防音ガラスが二重になっているし、このあたりは緑が少ない。でも、もちろん外ではセミが鳴いているだろうと思う。 「鳴いてるよ」兼治…

椰月美智子「死」(『みきわめ検定』収録 講談社)

彼女は、誰もいない隣のベッドを見た。そして、あることに気が付いた。そこは確かに静かだったけど、昨日までのほうが、もっとしんとしていたのだった。あの女の人がいたほうが、静寂だった。今は、ただの空っぽのベッドだ。おかしいところなんて、ひとつも…