椰月美智子「と、言った。」(『みきわめ検定』収録 講談社)

セミが鳴いてる、と、言った」
「えっ、本当?」
 孝太郎は耳を澄ませてみる。でもセミの声は、ぜんぜんきこえなかった。防音ガラスが二重になっているし、このあたりは緑が少ない。でも、もちろん外ではセミが鳴いているだろうと思う。
「鳴いてるよ」兼治さんが言った。
「え」
「うるさいくらいに鳴いてる」
 孝太郎は、もっと集中して耳を澄ませてみる。
アブラゼミ、ミンミンセミ、と、言った」
 三人の間に、またさっきとは違う空気が流れ始めていた。  p.107