作品ま行

瀬川深『ミサキラヂオ』早川書房

――もう、仕方ないんじゃないかなあ。これだけ世の中の流れがゆっくりしちゃえばな。ちょっとぐらい時間がズレることだってあろうさ。 p.63 ――俺さ、時々、今生きているこの時間が切り取られて、ぽかんと歴史の中に宙ぶらりんで浮かんでいるような気分になる…

瀬川深『ミサキラヂオ』早川書房

なにしろあてにならないラジオだった。ラジオ局の配布する番組表に舌を出すかのように。ラジオは気まぐれに思い思いの音を流した。どんな曲が流れ始めるか、どんな声が語り始めるかは、スイッチをひねるまで誰にも分からなかった。 p.7

稲葉真弓「海松」新潮社(『海松』収録)

ずっとずっと仕事をしてきたのだ。食べるために不健康な毎日を送ってきた。生きるために不健康を選ぶのは矛盾じゃないか。だからここではなにもしたくない。無意味な暮らしがいい、空っぽの日々がいいといつも思う。 p.19 そんな時間が私にもあった。私の中…

橋本紡『もうすぐ』新潮社

「そうなのよ。難しいのよ。放っておいたら死んじゃうとわかっている小さな命を、見捨てることなんてできないわよ。ただまあ、ここまで厄介だとは想像しなかったけど。猫なんて、放っておいたら、勝手に生きてるもんだと思ったのに」 p.7 「わたしはどちら…

森谷明子『深山に棲む声』双葉社

それに、どこのものでもない話は、どこの話にもなる。 p.292(「囲炉裏の前で」) 「ねえ、さっきの話は、本当のこと?」 母親はほほ笑んで、首を振った。 「いつも言っているだろう。昔語りを、真に受けるものじゃない、とね。さあ、安心して、もうお眠り…

森谷明子『深山に棲む声』双葉社

「山」へ行ってはいけない。村の子どもたちは物心ついた時から、そう教えられる。「山」へ行ってはいけない。あそこには恐ろしいものが棲んでいる。 p.6(「朱の鏡」より)

生田紗代「魔女の仕事」(『ぬかるみに注意』収録)講談社

似たような話を聞くたびに、友人が恋人に変わるその瞬間をこの目で見たい、といつも思う。さなぎが蝶に生まれ変わるように、そこに劇的な変化はあるのかないのか。 p.109 私は思春期が終わる頃には、自分の母親を理解しようとする努力をやめた。愛しく不可…

谷崎由依「舞い落ちる村」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録) 

朔は言葉で、わたしは言葉でないものだった。そんなふうに決まってしまうと、わたしはますます喋ることができなくなり、これはいささか不本意ではあった。けれども一方が一方であれば、他方は他方であるものなので、それは仕方のないことだった。わたしはそ…

谷崎由依「舞い落ちる村」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

ことし、数えで二十六になる。 p.7

辻村深月「道の先」(『ロードムービー』講談社より)

胸に、目の前のこの子の作り笑いと、笑った一瞬後ですぐ無表情に戻る、さっきの千晶の作り笑いとが同時によぎった。対照的な二つだが、この年頃の少女にとって、一体どっちが年相応の表情なのかはわからなかった。ただ、十四か十五の少女に強いられる作り笑…

丸山健二『水の家族』求龍堂

ひと切れの死んだ竹の管から湧水のように溢れ出る幽玄の調べは、住民ひとりひとりの俗念をすっぱりと断ち、邪念を払い。城址公園の大山桜の花と、誰も正確な数を知らない桃の花を一層赤く染め、対岸の一本残らず生きている真竹を青々とさせ、その竹林に横た…

丸山健二『水の家族』求龍堂

ただならぬ水の気配がする p.3

吉田修一『元職員』講談社

「だって、この国に来てる奴なんて、みんな嘘っぱちでしょ?(中略)みんなここに来て、本当の自分偽って楽しんでんだから、それでいいじゃないっすか。 p.51 「ええ、嘘。……嘘って、つくほうが嘘か本当か決めるもんじゃなくて、つかれたほうが決めるんです…

吉田修一『元職員』講談社

背景の風景が、すとんと抜け落ちたような気がした。突然、断崖絶壁の先端に後ろ向きで立たされたような感覚だった。 p.3

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

アザミはそう答えながら、大人な返答をしている自分に我ながらゆるい違和感を覚えた。 p.133 5行目 なんであたしはこんなに自分のことがわからんのやろう。 p.133 15行目 「あたしの家のことなんか言い始めたらきりないしさ。それもあるし、なんやろ、友達…

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

みんな出て行ってしまった。閑散としたスタジオの真ん中に置かれたパイプ椅子に座って、アザミは、ひっぱたかれた頬が今ごろひりひりと痛みはじめるのを感じていた。 p.3

麻見和史『真夜中のタランテラ』東京創元社

……あなたもカレンも、ずっと踊り続けていました。でも志摩子さんはあの少女とは違う。カレンは呪われて踊っていたが、あなたは自分の意志で踊っていたんです」 p.299

平山瑞穂『桃の向こう』角川書店

それよりは、この自分の中にたしかにあるといつでも実感できるもの、たとえ目には見えなくても、自分自身の支えとしていつまでも存在しつづけるなにかを、煌子は切望していた。 そんな煌子の中で、恋愛という現象は、どちらかというと、雑音に近いものとして…

平山瑞穂『桃の向こう』角川書店

仁科煌子とつきあったのは、大学時代の一年間にも満たない短い期間だった。 p.5

金井美恵子『昔のミセス』幻戯書房

グレーのトックリ首のセーターにグレーのウールのスカート、こげ茶色の小さな襟の付いたカーディガンをお召しになって、おっとりとしてゆっくりした口調で話すのだけれど、<私の美の世界>を絶対と信じる<贅沢貧乏>の人ならではの手厳しさには。姉も私も…

柴田よしき「まぼろしのパンフレンド」(『謎の転倒犬』収録)

占い師ってのはね、カウンセラーなの。客の大半は、占い師に超自然的な力を求めているんじゃなくて、アドバイスを求めているの。自分の迷いを断ち切ったり、何かを決意したり諦めたり、そうした、心を決めるための勇気をもらいに来るのよ。 p.74

上田早夕里『美月の残香』光文社文庫

「職業柄、私には人間の氏名などより、匂いのほうがずっと重要なものに思えるのです。人は顔や名前は変えられても、自分の匂いは変えられません。香水ですらマスキングできない匂いを、人間なら誰でも持っています。しかもそれは、指紋のようにひとりひとり…

上田早夕里『美月の残香』光文社文庫

美月の残香 (光文社文庫)作者: 上田早夕里出版社/メーカー: 光文社発売日: 2008/04/10メディア: 文庫 クリック: 9回この商品を含むブログ (15件) を見る ふたごというのは顔だけでなく、匂いも似ているのだろうか。 p.5 遥花は、一卵性のふたごとしてこの世…

前田珠子『緑の糸をたどって』コバルト文庫

「みてくれがどうであろうとも、ドレスで木に登るのを止めない時点で、猿娘は猿娘です」 p.147 感想はコチラ。

前田珠子『緑の糸をたどって』コバルト文庫

緑の糸をたどって―天を支える者 (コバルト文庫)作者: 前田珠子,明咲トウル出版社/メーカー: 集英社発売日: 2008/04/01メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (7件) を見る 視界の隅で、手入れされた細く優美な指がすい、と宙を舞う。 p.8

綾辻行人『深泥丘奇談』メディアファクトリー

深泥丘奇談 (幽BOOKS)作者: 綾辻行人出版社/メーカー: メディアファクトリー発売日: 2008/02/27メディア: ハードカバー クリック: 16回この商品を含むブログ (65件) を見る この世には不思議なことなど何もない――とは、おそらく今この国で最も有名な古本屋の…

ジョゼフ・ディレイニー『魔使いの秘密』東京創元社

まさかずっと泣いていた……?そう思ったら、自分が同じ立場だったらどうするか考えさせられてしまった。ぼくが魔使いで、アリスを穴に入れたとしたら?同じことをしていただろうか。 p.312 「違う!そんなふうになる必要なんてない。おまえには選ぶことがで…

ジョゼフ・ディレイニー『魔使いの秘密』東京創元社

魔使いの秘密 (sogen bookland)作者: ジョゼフディレイニー,佐竹美保,Delaney Joseph,金原瑞人,田中亜希子出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 2008/02/29メディア: 単行本 クリック: 4回この商品を含むブログ (8件) を見る 寒くて暗い十一月の晩だった。 p…

澤見彰『燃えるサバンナ』

マサイにふりかかる災いのすべてを、呪われた名の娘ひとりに背負わせて、氏族すべてを守ろうとしたのだ。 p.190 赤いたてがみのライオンをさがすため、たったひとり旅に出た大シバ。 大シバは、どんなに疎まれても、兄レムヤのことや、村の衆のことも大事に…

澤見彰『燃えるサバンナ』

燃えるサバンナ (ミステリーYA!)作者: 澤見彰出版社/メーカー: 理論社発売日: 2008/02/01メディア: 単行本 クリック: 2回この商品を含むブログ (7件) を見る 大気がゆらめいている。 p.4(プロローグより) マサイの赤。 火の赤。太陽の熱と光の赤。それは…