金井美恵子『昔のミセス』幻戯書房

 グレーのトックリ首のセーターにグレーのウールのスカート、こげ茶色の小さな襟の付いたカーディガンをお召しになって、おっとりとしてゆっくりした口調で話すのだけれど、<私の美の世界>を絶対と信じる<贅沢貧乏>の人ならではの手厳しさには。姉も私もすっかり圧倒されて、けれども、とても良い気分になったのだった。  p.125(「森茉莉さんのこと、あるいはほめ言葉」より)

考えてみれば、「観念の鉄骨がむき出しになった小説」を志向する若き前衛(的)作家として『パルタイ』や、あの痛快に大人たち(「大人たち」に傍点)を嫌悪する、コクトオの『怖るべき子供たち』の由美子ヴァージョンであった『蠍たち』の後に、なあんで、中年男(「中年男」に傍点)や父親(「父親」に傍点)と恋愛する若い娘の小説を書くんだろう、と、『暗い旅』と『聖少女』に期待を裏切られたごくごく年の若い読者だった私としては、『スミヤキストQの冒険』の後で、『夢の浮橋』でも、なあんでこういう小説書くわけ?と、何かを裏切られた気がしたのだし、『大人のための残酷童話』にも肩すかしをくわされた後の『星の王子さま』なのだから、倉橋由美子の小説には期待とその肩すかしをずっと経験してきたことになるのだ。  p.153(「作家のための残酷童話」より)

大人になるということは、そうした様々なガラクタ(かけがえのない人生の断片)を、自分の人生観の身丈にぴったり合わせて整理できる合理性のなかに、どこかポッカリとそこだけが別の輝きを持っている自分の中の<少年性>とか<少女性>の特別の箱をひそか(「ひそか」に傍点)に持つ、ということでしょう。  p.173(「ガラクタの山のなかから」より

森茉莉の文章を好きだという女性の読者は、思想(「いきかた」とルビ)や人生や文学の問題ではなく、最も輝かしい意味での感性(「センス」とルビ)について共感し、それが確かに自分の持っているものと同じだと感じる瞬間を彼女の文章の中に何度も発見してしまうからなのだろう。  p.177(「森茉莉の読者たち」より)

 私のこのエッセイに、教訓、というものがあるとしたら、猫は飼主に体力のあるうちに飼うのがお互いに幸福、ということと、猫は思った以上に長生きする(条件が整っていれば)、ということである。  p.212(「老猫と暮すこと」より)

 やっぱり金井美恵子の文章はいいわあ。うっとり。
 森茉莉ファンなので“(茉莉が)不思議と気に入った”自身の写真が見られて大満足。金井姉妹と森茉莉との初対面の時のエピソードも、「まあ」いかにもらしくて、にまにましながら読んだ。澁澤龍彦とのエピソードも印象深い。
 「昔のミセス」を読み返す前半も、様々な媒体に発表されたエッセイを収録した後半もどちらもよかった。しっかし、あのトラーが、、、、(涙)。金井さん自身、大変な手術をなさっていたこともこのエッセイで知って、驚いてます。
 本のあちこちに配された金井久美子さんの作品やオブジェとのコラボレーションがとても素敵だし、効果的。愛猫のトラーが主人公なのかな?「ノミがサーカスへ行ったあと」へのサーカスのポスターをじっと見つめるトラーの後ろ姿がなんともいえず好き。トラーにたっぷりの愛情を注ぐ金井姉妹の温かいまなざしに、こちらの心もとろけそうになる。
 ああ、読みたい本がどっさり増えたことよ。図書館で借りて読んだけど、ぜひ手元に置きたい一冊だ。