作家か行

鹿島田真希『ゼロの王国』講談社

「おお、その通りです。僕は自分が太陽に愛されているように、自分も人を愛そうと思っているのです」 「あなたはまだ人の愛というものを知らないのね。ああそうね。だってあなたは孤独を覚えたことがないんですもの。おばあさんと自然に愛されて、それで満た…

鹿島田真希『ゼロの王国』講談社

雪解け。ロシアでは十一月の下旬のことをそう呼ぶ。日本人である筆者は、雪が降り始めるこの時期をなぜ雪解けと呼ぶのか、わからなかった。 p.4

北村薫『鷺と雪』文藝春秋

――身分があれば身分によって、思想があれば思想によって、宗教があれば宗教によって、国家があれば国家によって、人は自らを囲い、他を蔑し排撃する。そのように思えてなりません。 p.68(「不在の父」より) ――人の世の常識とは何だろう。真実とされている…

金原瑞人『翻訳のさじかげん』ポプラ社

そして、古びないものなどなにもない。新しいものもやがて、ありふれたものになり、古いものになっていく。あらゆるものは時間がたてば古びる。もちろん古びても、なお次の時代に通用するものもある。しかし、そういったものが「本当に価値がある」ものであ…

桐野夏生『女神記(ジョシンキ)』角川書店

ナミマ、一番始末に悪い感情は何か知ってるかい?そうだ、憎しみなのだ。憎しみを持ったが最後、憎しみの熾火が消えるのを待つしか、安寧は訪れない。が、それはいったいいつのことやら。私はイザナキによって、こんな地下の冷たい墓穴に押し込められてしま…

桐野夏生『女神記(ジョシンキ)』角川書店

私の名はナミマ。遠い南の島で生まれ、たった十六歳の夜に死んだ巫女です。その私が、なぜ地下の死者の国に住まい、このような言葉を発する存在になったのかは、女神様の思し召しに他なりません。面妖なことではありますが、今の私には、生きている頃よりも…

木村紅美「風化する女」(『風化する女』文藝春秋 収録)

「年食って一人ぼっちでさびしく死んでいくなんて、ごめんだよね」 p.17 私がいま、突然死んでしまっても、会社での反応は、きっと淡々としたものだろう。ふとそんなことを思った。同時に、それは当たり前すぎるくらい、当たり前のことなんだと気づいた。 …

木村紅美「風化する女」(『風化する女』文藝春秋 収録)

れい子さんは、一人ぼっちで死んでいた。 p.7

鹿島田真希「嫁入り前」(『女の庭』収録 河出書房新社)

結婚という言葉をイメージする土人形は確かになかったけれども、彼は結婚するのだったら、私の子宮の中の糞を取るという。私は結婚という言葉が受肉した土人形なんだと思った。子宮が空の土人形。それを作るのにはきっと技がいるだろう。なにしろ中が空洞な…

鹿島田真希「嫁入り前」(『女の庭』収録 河出書房新社)

母親はため息をついた。そして粉末のプロテインを牛乳で溶いたダイエット・ドリンクをテーブルに置いて、ぴったりと胸に近づける。 p.87

鹿島田真希「女の庭」(『女の庭』収録 河出書房新社)

こうして私は普通の主婦に堕落していった。独身時代に、穏やかだと思って私を魅了した夫は、堕落した主婦を製造する装置だったのだ。 p.16 そして私はまた、井戸端会議に参加するのだ。主婦たちと話していると、私は生きていると実感する。このつまらなさ、…

鹿島田真希「女の庭」(『女の庭』収録 河出書房新社)

息がつまる。母、母、母親に囲まれていて、私は息をつまらせている。別に私には特別なところはない。自分はいい意味でも悪い意味でも、普通の主婦だ。どういうところが普通かと聞かれて、答えていたらきりがないけれども。だって、普通であることを、当たり…

北山猛邦『踊るジョーカー』東京創元社

「いいか悪いかの問題ではないな。やらなきゃいけない。それが『正しい』ってことだ」 「名探偵は『正しい』?」 「そうとは限らないが……」 人生を懸けたトリックで他人を殺害し、運命を変えようとする人々。探偵はその運命を矯正する力を持つ。それだけに躊…

梶尾真治『穂足のチカラ』新潮社

新世界が来ます。誰もなしえなかった真の平和と安定と調和が訪れます。誰も思い悩むことのない、憎しみあうこともない、貧富もない、民族紛争も南北問題も経済格差も、環境問題も消失した未来です。それは一人一人の心が変わるだけで。解決する未来です」 p…

近藤史恵「寒椿ゆれる」(『寒椿ゆれる』光文社より)

「だから、まあ、つまりはうまく納まったということだ」 p.278

近藤史恵「清姫」(『寒椿ゆれる』光文社より)

千蔭は、しばらくぽかんとしていた。何を言われたのか、すぐにはわからないようだ。 千蔭の額から汗が噴き出した。あわてて、手ぬぐいで拭っている。 p.161 「ろくには色だの恋だのというものはわかりませぬ」 おろくは、巴之丞にも言ったことばを、もう一…

近藤史恵「猪鍋」(『寒椿ゆれる』光文社より)

「あんたは馬鹿だねえ」 「馬鹿とはなんだ」 「女には、女の意地ってもんがあるんだよ。惚れているからこそ、その相手に良縁があれば、ごねてみっともないところを見せたくないんじゃないか。家柄だけで鼻持ちならない相手というのなら、まだ負けたくない気…

川上弘美「ゆるく巻くかたつむりの殻」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

「好きな人が死ぬと、すこし、自分も死ぬのよ」 p.284 生きていても、だんだん死んでゆく。大好きな人が死ぬたびに、次第に死んでゆく。 死んでいても、まだ死なない。大好きな人の記憶の中にあれば、いつまでも死なない。 p.288 平蔵さんが死んでも、源二…

川上弘美「どこから行っても遠い町」(『どこから行っても遠い町』新潮社より) 

おれは、生きてきたというそのことだけで、つねに事を決めていたのだ。決定する、というわかりやすいところだけでなく、ただ誰かと知りあうだけで、ただ誰かとすれちがうだけで、ただそこにいるだけで、ただ息をするだけで。何かを決めつづけてきたのだ。 お…

川上弘美「貝殻のある飾り窓」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

泣くもんか、と思って、こらえた。いつの間にか自分が雨の写真を撮らなくなっていたことに、その時わたしは、はじめて気がついたのだった。 p.241 雨の日の風景写真を撮るのが趣味の私。偶然喫茶店「ロマン」に勤める赤いくちべにをひいたおばさんあけみと…

川上弘美「急降下するエレベーター」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

山崎くんは、違わないひとなんだ。わたしは思っていた。山崎くんは、違わないひと。きっと山崎くんの家族も、違わないひとたち。わたしの家族も、そう。そして、わたし自身も。 違っていた。佐羽は。南龍之介は、どうだったのか。ほんとうのところは、知らな…

川上弘美「四度めの浪速節」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

好き、っていう言葉は、好き、っていうだけのものじゃないんだって、俺はあのころ知らなかった。いろいろなものが、好き、の中にはあるんだってことを。 いろんなもの。憎ったらしい、とか。可愛い、とか。ちょっと嫌い、とか。怖い、とか。悔しいけど、とか…

川上弘美「長い夜の紅茶」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

平凡と、平均的とは、ちがう。というのが、わたしの持論だ。 何千人ぶんもの顔をかさねてコンピューター処理し、目鼻の位置や大きさを平均化した顔を造形すると、それはいわゆる「美人」「美男」になる、という新聞記事を、以前読んだことがある。 平均とは…

川上弘美「蛇は穴に入る」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

認知症を得た女や男でさえ、その例にもれない。どの男も女も、英さんの言葉を借りるなら、「自分の今までの人生を。どっと自分の上にふりかからせながら」、それぞれの人生の中から否応なしにこぼれでてくる幾多の苦みや軋みや、ときどきはよろこびを、介護…

川上弘美「夕つかたの水」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

大きくなると、自然に、いろいろなことがわかってしまう。 めんどくさいなあ、と、ときどきあたしは思う。でもしょうがない。時間は、たつ。あたしは、成長する。あたしの目には、それまでうつらなかったものが、うつるようになる。そしてまた反対に、うつっ…

川上弘美「午前六時のバケツ」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

渉が、いけない。渉が、ぜったいに、いけない。 庸子さんのことを思って、僕は少し泣いた。庸子さんは掃除が上手だった。よく掃除の手伝いをさせられた。庸子さんの掃除を手伝うのが、僕は、大好きだった。 p.40 「女って、どうやったら機嫌をなおすわけ」…

川上弘美「小屋のある屋上」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

「四十二歳ですよ、わたしは」去り際に言うと、鳥勝はぱっと顔を輝かした。 「なんだ、若いじゃない」 わかい? わたしは聞き返した。 「そうだよ、三十四十のあたりは、あたしらからすると、中若だよ」 いつの間にか八百吉のおばちゃんがすぐうしろに立って…

小池昌代「りぼん」(『ことば汁』収録)中央公論新社

こんなコレクションを残したことが、ふじこのささやかな復讐に見えた。 p.240

小池昌代「野うさぎ」(『ことば汁』収録)中央公論新社

長く忘れていた欲望が、わたしの身体のすみずみまでいきわたり、身体じゅうを緑色に染め上げていく。赤い血のかわりに、緑色の濃い血が、身体じゅうに音をたてて流れ始めたようだった。 森の道は危険だ。ここを歩くと、ときどき、わたしがわたしでなくなって…

小池昌代「すずめ」(『ことば汁』収録)中央公論新社

ここへ来ると、いろいろな欲望が、あらわになる。もし、わたしの欲望が、ほかのひとに見えたら、どれほど醜悪に見えることだろうと、よけいなことまで、思っておそれた。 p.100