川上弘美「四度めの浪速節」(『どこから行っても遠い町』新潮社より)

 好き、っていう言葉は、好き、っていうだけのものじゃないんだって、俺はあのころ知らなかった。いろいろなものが、好き、の中にはあるんだってことを。
 いろんなもの。憎ったらしい、とか。可愛い、とか。ちょっと嫌い、とか。怖い、とか。悔しいけど、とか。そういうの全部ひっくるめて自分の何かを賭けにいっちゃいたくなる、とか。
 俺の「好き」は、ただの「好き」だった。央子さんの「好き」は、たくさんのことが詰まってる「好き」だった。
 三度めは、三年、続いた。だんだん、長くなる。でもやっぱり、終わった。  p.147

「ほんと、ばかね」
すいませんね。俺はつぶやいた。
「ちがうの、あたしが、ばか」
そうすか。
「臆病で、ばかなの、あたし」  p.159

 15歳年上の央子さんと俺廉とのくっついては離れる、その繰り返しの恋愛。肉感的で艶めかしいお話。好き、なのに。なぜ離れてしまうのか。今度は廉が追う形で小料理屋を一緒に始めたものの、いつしか央子さんの側の気持ちが好きから離れていて。どこで間違ってしまったのか。続きが気になり余韻が残る。