作品さ行

大島真寿美『すりばちの底にあるというボタン』講談社

晴人は、すぐそばにいる、薫子や雪乃や邦彦と知り合い、いっしょに歩いた、このすりばち団地のことを思っていた。ジャングルジムや、坂道。毎朝、さがしたボタン。作戦会議。お父さんとは別れてしまったけれど、ぼくはここで、友だちをみつけた。だから、こ…

大島真寿美『すりばちの底にあるというボタン』講談社

すりばち団地は、すりばち状の敷地に建っているから、ゆるい坂道や階段がやたら多い。 平坦だと思って歩き出した道もいつのまにか坂道になっていたりする。 p.5

鹿島田真希『ゼロの王国』講談社

「おお、その通りです。僕は自分が太陽に愛されているように、自分も人を愛そうと思っているのです」 「あなたはまだ人の愛というものを知らないのね。ああそうね。だってあなたは孤独を覚えたことがないんですもの。おばあさんと自然に愛されて、それで満た…

鹿島田真希『ゼロの王国』講談社

雪解け。ロシアでは十一月の下旬のことをそう呼ぶ。日本人である筆者は、雪が降り始めるこの時期をなぜ雪解けと呼ぶのか、わからなかった。 p.4

平田俊子『さよなら、日だまり』集英社

裁判官や弁護士にはありふれたことでも、わたしにとっては初めてのことだ。結婚にとって離婚は死だ。簡単にそのときを迎えてはいけない。たくさん苦しみ、ぼろぼろにならなければいけない。 p.141 幸せが日だまりになってこの部屋を守ってくれている。夫と…

平田俊子『さよなら、日だまり』集英社

阿佐ヶ谷駅の北口でバスをおりると風が強く吹いていた。 p.3

大島真寿美『三人姉妹』新潮社

あのね、夜中に一人で車で走ってると、あたしは自由だ、どこまでも自由だ、って気がしてくるの。これって不思議よ。どんなにへこまされている時だって、絶体絶命の時だって、あたしは壊されない、壊れてなんかやるもんか、って強く思えるの。このままどこま…

北村薫『鷺と雪』文藝春秋

――身分があれば身分によって、思想があれば思想によって、宗教があれば宗教によって、国家があれば国家によって、人は自らを囲い、他を蔑し排撃する。そのように思えてなりません。 p.68(「不在の父」より) ――人の世の常識とは何だろう。真実とされている…

白岩玄『空に唄う』河出書房新社

――熱いとか痛いとか感じないとさ、自分が平坦になっていくような気がするの。 p.104 碕沢さんはぬくもりを確かめるように僕の脚に数秒さわると、なにやら神妙な顔をして、静かに手をもとに戻した。 ――うん。つながってる、って感じ。 p.105 ――なんか、私が…

白岩玄『空に唄う』河出書房新社

天井の染みがななめ左を指している。 p.3

津島佑子「サヨヒメ」(『電気馬』新潮社 収録)

そう。その通り。だれよりもなによりも大切な子どもをいけにえにして、なにかの神に捧げ、このひとりの女はこれから先も生きつづけようとしている。でも、その女もいつかまた、なにかの神のいけにえにされていく。なんの神なのか。時の神。希望の神。女だけ…

吉田篤弘『小さな男*静かな声』マガジンハウス

すでに小島さんのもとから離れていた時間の係員が、どこからか音もなくするすると忍び寄り、小さな男の背中を「ついに」と軽く叩いて無表情のまま去っていった。 p.94(「小さな男 #3」より) 「大きな愉しみは時として気紛れだが、ちょっとした愉しみは決…

吉田篤弘『小さな男*静かな声』マガジンハウス

いま、ここにいる小さな男 とは私のことである。 p.6

桐野夏生『女神記(ジョシンキ)』角川書店

ナミマ、一番始末に悪い感情は何か知ってるかい?そうだ、憎しみなのだ。憎しみを持ったが最後、憎しみの熾火が消えるのを待つしか、安寧は訪れない。が、それはいったいいつのことやら。私はイザナキによって、こんな地下の冷たい墓穴に押し込められてしま…

桐野夏生『女神記(ジョシンキ)』角川書店

私の名はナミマ。遠い南の島で生まれ、たった十六歳の夜に死んだ巫女です。その私が、なぜ地下の死者の国に住まい、このような言葉を発する存在になったのかは、女神様の思し召しに他なりません。面妖なことではありますが、今の私には、生きている頃よりも…

矢野隆『蛇衆』集英社

「生きるための対価であれば、銭でなくてもいい。俺達は人を殺す術を売っている。誰のためでもない。己のために人を殺す。そしてみずから殺めた命を喰らい、生きている」 p.52

矢野隆『蛇衆』集英社

新たな火柱が上がった。 p.3

奥泉光『神器<上> 軍艦「橿原」殺人事件』新潮社

禍々しき死の影――言葉とはこれである。 p.18 観念では死に親しんでも、それはいまだリアルに俺に迫ってはいなかった。これはつまり、単純に、俺が生きているということだろう。 p.71 やや赤みのかかった蛍光灯の光に満たされた、天井の低い十畳間ほどの矩…

奥泉光『神器<上> 軍艦「橿原」殺人事件』新潮社

○九○○に俺たちは内火艇に乗り込んだ。桟橋に立っていたときから、寒くて仕方がなかったんだが、艇が飛沫をあげて走り出せば、剃刀に変じた風が頬に首に斬りつけ尚更寒い。 p.9

道尾秀介「鈴虫」(『鬼の跫音』収録)

私はね、刑事さん。私はいつも思うんですが、この世は完全犯罪だらけですよ。やったことを他人に気づかれさえしなければ、それは完全犯罪なんです。あなただって、いくつ完全犯罪を犯してきたかわかったもんじゃない。人間なんてね、生きてるだけでみんな犯…

連城三紀彦『造花の蜜』角川春樹事務所

「造花でも本物の蜂を呼び寄せることはできる」 p.126 どんな人間にも、見かけとは違う中身がある。誰もが何らかの嘘をつき、自分を飾っている。 p.273 彼女は、それを本物の花だと言ったが、生きた花に薬品処理をほどこしたミイラのような花が、彼の目に…

宮木あや子「憧憬☆カトマンズ」(『29歳』収録 日本経済新聞出版社)

恋の話は、いつまで経っても出てこない。その代わりに私たちは、上野動物園のパンダに就職したいという話で盛り上がり、いつの間にか終電になる。あのパンダの中には、絶対に人が入っていたはずだ。間違いない。 p.305〜306 「後藤さんそれ可愛いー。どうし…

井上荒野「砂」(『あなたの獣』収録 角川書店)

僕には、少女たちはこの場所に似合っているように感じられた。彼女たちは、この場所の、何かを嵌め込んでみてみてはじめてあきらかになる欠落のような部分に、一人一人がぴったり嵌まり込んでいるような感じがしたのだ。 p.13

山本弘『詩羽のいる街』角川書店

「マンガもライトノベルも立派な読書ですよ」明日美さんは優しく微笑んで言った。「どんなジャンルでもそうですけど、駄作や凡作もあれば、傑作もいっぱいあります。そういうのを見つけ出すのが楽しいんです」 p.53(「第一話 それ自身は変化することなく」…

吉田修一「自転車泥棒」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

自転車がそこから消えたというよりも、自分自身がふっと消されたような感じだった。 p.19

斎樹真琴『地獄番鬼蜘蛛日誌』講談社

地獄に落ちた亡者が、生前に犯した罪の所為で此処にいるならば、地獄で亡者を苦しめる鬼は、生前の亡者に怨みのある者。それが地獄の規則なら、これはまさに現実。 p.13 そうするうちに不思議と、その蜘蛛が何かの遣いに思えてきましてね。化身ってやつでし…

斎樹真琴『地獄番鬼蜘蛛日誌』講談社

一日目 さて、何から書きましょうね。 この役に就いた抱負でも書けば宜しいですか。それとも生まれて初めて願いが叶えられたことに、感謝でもしましょうかね。 p.5

椰月美智子「城址公園にて」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

一人になって困ることってなんだろう。こんなつまらないメールを返信してきた男がいなくなって困ることってなんだろうか? p.25

椰月美智子「死」(『みきわめ検定』収録 講談社)

彼女は、誰もいない隣のベッドを見た。そして、あることに気が付いた。そこは確かに静かだったけど、昨日までのほうが、もっとしんとしていたのだった。あの女の人がいたほうが、静寂だった。今は、ただの空っぽのベッドだ。おかしいところなんて、ひとつも…

小池昌代「すずめ」(『ことば汁』収録)中央公論新社

ここへ来ると、いろいろな欲望が、あらわになる。もし、わたしの欲望が、ほかのひとに見えたら、どれほど醜悪に見えることだろうと、よけいなことまで、思っておそれた。 p.100