作家た行

田山朔美「霊降ろし」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

信じるかそれとも信じないか。結局のところ、差はそれだけなのかもしれない。だとしたら、私は信じたくない。信じてしまったら存在する。そうなったら、こちらの世界に引っかかりのすくない私は、あちらの世界に引きずり込まれて戻ってこられなくなる気がす…

田山朔美「裏庭の穴」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

「なにを埋めたの」 私は小さな声で聞いた。 「なにも埋めてないよ」 嘘だ、と私は思った。 「ねえ、なにを埋めたの」 母は私を見ずに言った。 「朝子、この夢は楽しい?」 「夢?」 「そう、ここは夢のなかだよ。朝になったら消えるんだよ」 p.9 「死んだ…

田山朔美「裏庭の穴」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

空には丸くて大きな月があった。私は手に石を持ったまま、その月を見上げていた。 p.7

津島佑子「サヨヒメ」(『電気馬』新潮社 収録)

そう。その通り。だれよりもなによりも大切な子どもをいけにえにして、なにかの神に捧げ、このひとりの女はこれから先も生きつづけようとしている。でも、その女もいつかまた、なにかの神のいけにえにされていく。なんの神なのか。時の神。希望の神。女だけ…

津島佑子「雪少女」(『電気馬』新潮社 収録)

冬の雪から生まれる雪女はただなんとなく、人間が恋しくて、人間のそばに近づきたくて、雪の夜、自分に語りかけてくる人間を求めて、さまよいつづけるだけ。 p.17

津島佑子「雪少女」(『電気馬』新潮社 収録)

雪女は、当り前の話だけれど、雪がなければ生まれることができない。それもたっぷりの雪が必要なのだ。 p.16

津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版

地元の人間関係に依存するのはろくなもんじゃない、とホカリは言う。 p.47 それは大げさだとしても、ホカリの母親が兄と妹の間に何らかの差をつけていることは確かだ。自分たち兄弟とも少し似ている、とタケヤスは思う。母親は男の子をかわいがる。そして母…

津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版

来そうな町内の人はひととおり来たと思うから、ちょっと休んでてええよ、とホカリが言ったので、タケヤスは弁当を受け取り、関係者用の控え室に入った。 p.3

谷崎由依「冬待ち」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

背の高い木製の書架のあいだにときどき誰かが経っている。森のよう。道標のある道をたどっていくようだ。糸乃は鞄から幾つかのメモ書きを取り出して、本の住所をたずねて歩く。幾つにも分岐する書物の家を横目で見ながら、誰々他著とあるのを一瞬、他者、と…

谷崎由依「冬待ち」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

頭上では空が旋回しながら無数の雨滴を散らしている。車輪が軋り、飛沫を上げる遠い音。すると耳許でかたかたとやかんが沸騰する。ぼんやりした頭のまま立っていって珈琲を湯で溶く。牛乳を流し込む。何も起こらないであろう今日。 p.79

谷崎由依「舞い落ちる村」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録) 

朔は言葉で、わたしは言葉でないものだった。そんなふうに決まってしまうと、わたしはますます喋ることができなくなり、これはいささか不本意ではあった。けれども一方が一方であれば、他方は他方であるものなので、それは仕方のないことだった。わたしはそ…

谷崎由依「舞い落ちる村」文藝春秋(『舞い落ちる村』収録)

ことし、数えで二十六になる。 p.7

辻村深月「雪の降る道」(『ロードムービー』講談社より)

自分の持っているもの全てを、ヒロの前に投げ出した。いつだって、そうだった。みーちゃんの宝物も笑い声も、いつだって彼女本人のためのものではなかった。そうすることで、彼女はヒロから悲しみだけを受け取った、ヒロの悲しみを漠然としか知らなかった彼…

辻村深月「道の先」(『ロードムービー』講談社より)

胸に、目の前のこの子の作り笑いと、笑った一瞬後ですぐ無表情に戻る、さっきの千晶の作り笑いとが同時によぎった。対照的な二つだが、この年頃の少女にとって、一体どっちが年相応の表情なのかはわからなかった。ただ、十四か十五の少女に強いられる作り笑…

辻村深月「ロードムービー」(『ロードムービー』講談社より)

「自分自身が何かされたわけじゃないのに、友達のために泣くんだ。それができるような人が、この中に何人いると思う?」 p.56 「俺、トシちゃんとどこまででも行きたいと思ってた。どんなこともできると思ってた。でもダメだ。俺は行かなくちゃいけない。も…

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房

わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに、だれでもいいから何か別の言…

津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』筑摩書房

煙たい味のする雨が下唇に落ちて、わたしは舌うちをした。 p.3 なぜわたしは雨が降る廃車置場で、イノギさんが10年ほど前になくした自転車の鍵を探しているのか。イノギさんとの出会いから探すことになった経緯までを描く小説。

千早茜『魚神』(いおがみ)集英社

「白亜、恐ろしいのと美しいのは僕の中では同じだよ。雷も嵐も雷魚も赤い血も。そういうものにしか僕の心は震えない。どちからしかないとしたら、それは偽物だ。恐ろしさと美しさを兼ね備えているものにしか価値は無いよ。僕はそう思っている。白亜、顔色が…

千早茜『魚神』(いおがみ)集英社

この島の人間は皆、夢を見ない。 島の中ほどにある小さな山の上に朽ちかけた祠があり、そこに棲む獏が夢を喰ってしまうのだ。島に住む人々の心は虚ろで、その夢はあまりにも貧しいため獏はいつも飢えていて、島の灯りに惹かれ訪れた客人の束の間の惰眠ですら…

津村記久子「地下鉄の叙事詩」(『アレグリアとは仕事はできない』収録 筑摩書房)

何か、保存しておかなければいけないエネルギーを、通勤の作法に使ってしまったような気分になる。 p.137 電車は暴力を乗せて走っている、とミカミはときどき思う。自動車のような、ある種能動的な暴力ではなく、胃の中に釘を溜め込むように怒りを充満させ…

津村記久子「アレグリアとは仕事はできない」(『アレグリアとは仕事はできない』収録 筑摩書房)

こいつにどうにかして思い知らせてやりたい、と考える。人ならば可能だ。人ならば。 p.11 始末に負えないのは、悪意よりも扱いにくい。痛みにまで達するようなアレグリアによる信頼の裏切りへの悲嘆がミノベの中にあることだ。 p.12 ミノベに言わせると、…

津村記久子「アレグリアとは仕事はできない」(『アレグリアとは仕事はできない』収録 筑摩書房)

万物には魂が宿る。ミノベの信仰にはそうある。万物に魂は宿る。母体の下の口から、あるいは殻を破り、あるいは分裂し、あるいは型を抜かれ、あるいは袋に詰められ、あるいはネジをとめられ、あるいはネジと一緒に梱包され、万物の命は生まれる。そこに魂は…

辻村深月『太陽の坐る場所』文藝春秋

「太陽はどこにあっても明るいのよ」 p.11(「プロローグ」) 私、嫌だけどなぁ。一生、自分の本当の居場所はここじゃないって思いながら生きていくのなんか」 p.24(「出席番号二十二番」) あの頃の彼女は冷静だった。 流されなかった。 多分、一度とし…

田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』文藝春秋

神様の忘れ物なんかもうどこにもない。 p.152 ゴドーは来ない。p.156

田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』文藝春秋

聞こえるか、香折。父さんは廊下に座って話をする。この扉は開けない。 p.3

平安寿子『恋愛嫌い』集英社

女は初めての男を忘れられない――というのは、男が作った伝説だ。初めての男は、踏み台なのだ。しかし、それは女だけの秘密である。男に言っても信じない。男は総じて、夢想家だ。 p.32 (「恋が苦手で……」より) 幸福はべたに甘いだけだけど、不幸はいろん…

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

アザミはそう答えながら、大人な返答をしている自分に我ながらゆるい違和感を覚えた。 p.133 5行目 なんであたしはこんなに自分のことがわからんのやろう。 p.133 15行目 「あたしの家のことなんか言い始めたらきりないしさ。それもあるし、なんやろ、友達…

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

みんな出て行ってしまった。閑散としたスタジオの真ん中に置かれたパイプ椅子に座って、アザミは、ひっぱたかれた頬が今ごろひりひりと痛みはじめるのを感じていた。 p.3

田中啓文『チュウは忠臣蔵のチュウ』文藝春秋

「忠義とはかくも滑稽で、かくも虚しいことであったか、と笑うておる。おもしろうてやがて悲しき鵜飼いかな、じゃ。君の心、臣下は知らず、とはこのことじゃ。 p.370 あー面白かった。この作者らしいダジャレも散りばめられ、トンでも愉快な忠臣蔵ながら「……

田中啓文『チュウは忠臣蔵のチュウ』文藝春秋

(パンッ) お早々からのおつとめかけでありがたくお礼申しあげまする。 ただいまから申しあげまするは、全国いずれの国々、谷々、津々浦々へ参りましても、御なじみ深きところの、元禄快挙録は忠臣蔵のおうわさにございまする。 p.6