津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版

 地元の人間関係に依存するのはろくなもんじゃない、とホカリは言う。  p.47

それは大げさだとしても、ホカリの母親が兄と妹の間に何らかの差をつけていることは確かだ。自分たち兄弟とも少し似ている、とタケヤスは思う。母親は男の子をかわいがる。そして母親は、より頼りない男の子をかわいがる。女の子やもう一人の男の子が歯を食いしばっていることなどお構いなしに。  p.48

「中学なんか早く終わればいいのに。そんで高校もさっさと終わって、おれのことを誰も知らんところに行きたいな」  p.146〜147

 

ひどく遠くに来てしまった、とタケヤスはヨシズミの肩越しに薄暗い部屋の明かりを見上げながらぼんやりと思った。もう中学生には戻れないというのは当たり前のことが、自分でも不思議なほど胸を突き上げた。  p.202

 合格発表へは一人で行った。自分の受験番号を見つけた瞬間、膝から力が抜けてタケヤスはその場に膝から崩れ折れかけた。今まで紗がかかって見えていたような世界が、突然鮮やかに色を持った気がした。生まれて初めて、世界が輝いて見えるということを実感した。自転車を走らせながら、あらゆる希望が体じゅうを満たすのを感じた。バイトをする。女の子と付き合う。バンドに入る。そして小説を書く。  p.207

 『八番筋カウンシル』のカウンシルって何のことかと思ったら、青年会のことだった。八番筋と名付けられた商店街の評議会のことだった。ショッピングモール建設を巡って、賛否両論、揺れる地元商店街の顛末を商店街に出戻ってきたタケヤスの目を通じて描く。
 商店街の、生ぬるくて閉鎖的で密な人間関係の歪さ気持ち悪さをさりげなく描き出す筆致が上手い。うんうん、誰もがみんな顔見知りって、いいことなのかもしれないけど、こんな風に気持ち悪く感じることもある。
 そしてヨシズミの祖父の事件が起こった14歳のあの頃と、30歳の今とを交互に描く手法もいい。タケヤス、ホカリ、ヨシズミの同じ商店街者同士の友情、母親が兄を溺愛するあまりに家庭内に居場所がないホカリに、生活破綻者の父親に母と弟と共に捨てられただけでなく、弟を溺愛する母親からも二重の意味で居場所がなかったタケヤスが夢見ていた大人になって、何を手に入れ何を失ったのか。残酷だけど、このヘンはシビア。
 事件の全てが明るみになって、ショッピングモール建設の是非も決まるのだけど、勧善懲悪ではないけど、いい結果になって本当によかったと思う。出戻ってきたタケヤスだけど、決して同じ場所に舞い戻って来たわけではなく、新たな出発と明るい未来への希望を予感させるラストが良かったー。でも一番よかったのは、ホカリのこと。夢がようやっと実現できて、よかったよかった(感涙)。