作家ま行

宮下奈都『遠くの声に耳を澄ませて』新潮社

そのときの様子がありありと目に浮かぶ。私を膝に乗せて話してくれたのは、たぶん祖母とふたりでじゅうぶんに楽しんだその後だったに違いない。どこにも出かけたことのなかった祖父母に豊かな旅の記憶があったことに私は驚き、やがて甘い花の香りで胸の中が…

森谷明子『深山に棲む声』双葉社

それに、どこのものでもない話は、どこの話にもなる。 p.292(「囲炉裏の前で」) 「ねえ、さっきの話は、本当のこと?」 母親はほほ笑んで、首を振った。 「いつも言っているだろう。昔語りを、真に受けるものじゃない、とね。さあ、安心して、もうお眠り…

森谷明子『深山に棲む声』双葉社

「山」へ行ってはいけない。村の子どもたちは物心ついた時から、そう教えられる。「山」へ行ってはいけない。あそこには恐ろしいものが棲んでいる。 p.6(「朱の鏡」より)

森絵都「銀座か、あるいは新宿か」(『架空の球を追う』収録)文藝春秋

まがりなりにも三十数年を生きてきた今の私たちは知っている。答えはひとつじゃないことを。結婚に生きても仕事に生きても、子供がいてもいなくても、離婚をしてもしなくても、セックスに愛があろうとなかろうと、そんなことは別段、人間の幸せとは関係がな…

道尾秀介「悪意の顔」(『鬼の跫音』収録)

「それなら、その子をここに入れてしまえばいいじゃない」 p.210

道尾秀介「鈴虫」(『鬼の跫音』収録)

私はね、刑事さん。私はいつも思うんですが、この世は完全犯罪だらけですよ。やったことを他人に気づかれさえしなければ、それは完全犯罪なんです。あなただって、いくつ完全犯罪を犯してきたかわかったもんじゃない。人間なんてね、生きてるだけでみんな犯…

三崎亜記「蔵守」(『廃墟建築士』収録)

私はなぜ、守り続けるのだろう。 そのことに、疑念を持ってはならない。 それが、私の存在意義でもあるからだ。 疑念は心を乱し、動きを妨げる。 いつ、どんな形で訪れるかも知れぬ「その時」に、一片の迷いもなく自らの職務を遂行するために。私は守り続け…

三崎亜記「廃墟建築士」(『廃墟建築士』収録)

「廃墟とは、人の不完全さを許容し、欠落を充たしてくれる、精神的な面で都市機能を補完する建築物です。都市の成熟とともに、人の心が無意識かつ必然的に求めるようになった、『魂の安らぎ』の空間なのです」 p.61〜61 廃墟が人々を癒すものであるならば、…

三崎亜記「七階闘争」(『廃墟建築士』収録)

「アルファベットや五十音だって、配列はあくまでも便宜的なものでしかないでしょう?階数もそれと同じなんです。一階の上に二階、二階の上に三階って順序に置かれているのは、混乱を来さないように便宜的に定められただけ。現に、世界最初の七階は、地面の…

宮木あや子「憧憬☆カトマンズ」(『29歳』収録 日本経済新聞出版社)

恋の話は、いつまで経っても出てこない。その代わりに私たちは、上野動物園のパンダに就職したいという話で盛り上がり、いつの間にか終電になる。あのパンダの中には、絶対に人が入っていたはずだ。間違いない。 p.305〜306 「後藤さんそれ可愛いー。どうし…

丸山健二『水の家族』求龍堂

ひと切れの死んだ竹の管から湧水のように溢れ出る幽玄の調べは、住民ひとりひとりの俗念をすっぱりと断ち、邪念を払い。城址公園の大山桜の花と、誰も正確な数を知らない桃の花を一層赤く染め、対岸の一本残らず生きている真竹を青々とさせ、その竹林に横た…

丸山健二『水の家族』求龍堂

ただならぬ水の気配がする p.3

村田沙耶香「ギンイロノウタ」(『ギンイロノウタ』収録 新潮社)

価値が低いなら私は安さで勝負するしかない。 私は誰よりも私を安く売るんだ。そして誰よりも喜ばれて見せるんだ。女の子達の甲高い笑い声が鳴り響く教室の中で私は、そう強く、胸に誓っていた。 p.133 濃度の薄い絶頂が、文字を書いている間ずっと、下腹の…

村田沙耶香「ギンイロノウタ」(『ギンイロノウタ』収録 新潮社)

私が“化け物”だとして、それはある日突然そうなったのか。少しずつ変わっていったというならその変化はいつ、どのように始まったのか……考えれば考えるほど、脳は頭蓋骨から少しずつ体の内へと溶け出していき、その中を漂いながら、ぼやけた視界で必死に宙に…

宮木あや子「群青」(『群青』小学館 より)

「そりゃ、骨折なんかと違って、心の傷ってのは簡単には治らないさ。もしかしたら、一生そのまんまかもしれない。それでも、皆なんとかだましだまし、生きてるんだよ。そういう痛みとか苦しみとか、そういうもん、体の奥のまた奥のほうに隠してさ」 「……」 …

宮木あや子『泥ぞつもりて』文藝春秋

年老いた女は、もはや爪の先ほどの大きさになった、かつての熱い大輪の花弁を愛しく思う。恋は池の底に溜まる泥のように形を持たないけれど、いつまでもそこに留まりつづけ、消えることはない。 かきつばたの夕闇はいつしか去りゆき、女は遠く夜の帳で、男の…

三浦しをん『光』集英社

殺してはいけないと、いまのこの島で言うのは無意味だ。なぜ殺してはいけない。罪を犯したら家族が友人が哀しむからか。俺の家族と友人は全員死んだ。死体袋のなかの泥人形が哀しむとは思えない。秩序を乱してはいけないからか。もとからこの世界のどこにも…

三浦しをん『光』集英社

海へ至る道は白く輝いている。 p.3

町田康『宿屋めぐり』講談社

そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか? おそらくいいのだろう。嘘を言って人を騙さないとこの世の中を生きていかれないのだ。 そして騙される方もまた、嘘を嘘と指摘して周囲から遊離するのが嫌で、それを嘘と知…

本谷有希子『偏路』新潮社

宗生 「わしがイライラしとったんは胃腸の調子がおかしかったからや!」 若月 「知らないよそんなもの!家に帰らせろ!」 宗生 「あんたには親を犠牲にして申し訳ないって気持ちがないんか?」 若月 「あんたには挫折した娘をいたわるって気持ちがないんか?…

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』下巻 新潮社

それから俺は俺の中の黄金律を思い出す。 全てに意味がある。 p.64(「第四部 方舟」より) 世界は人の信じるように在り、その世界観は絶えず他人によって影響され、揺らいでいる。<<意識>>が時空を変形させるという現象もその一つなのだ。 p.94(「第…

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』下巻 新潮社

僕の名前は踊場水太郎。<<踊場>>は、英語に直訳するなら<<ダンスホール>>だろうけど日本人的には階段の途中、曲がり角にあるあの比較的広くて平たいあそこのことだ。 p.4

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』上巻 新潮社

この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる? p.126(「第一部 梢」より) まあ、半分は自業自得というものだ。自分の世界なら自分の作った文脈がどこにでも通用すると思ったら大間違いなのだ。 p.169(「第二部 ザ・パインハ…

舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』上巻 新潮社

今とここで表す現在地点がどこでもない場所になる英語の国で生まれた俺はディスコ水曜日。 p.6(「第一部 梢」より)

本谷有希子『グ、ア、ム』新潮社

窓際に座った長女は、ぼんやりとまた風土と、その土地柄に染み付く人間の性質について考えてみた。特に答えは出なかったが、こうして女三人一緒に行動してみて、いやが上にも実感する。自分たちがどんなに抗ったとしても、結局は北陸の女でしかないだろうと…

本谷有希子『グ、ア、ム』新潮社

北陸の天気は基本的に曇天。 p.3

森見登美彦『美女と竹林』光文社

「二十一世紀は竹林の時代じゃき」 登美彦氏は言った。「諸君、竹林の夜明けぜよ!」 p.21 「なんだか面白そうでいいなあ」と言う人があるかもしれない。 その人は何も分かっていない。 「面白いだけで生きていけたら、なんの苦労もありませんなあ」と、高…

道尾秀介『カラスの親指』講談社

「劇の内容が書いてありますよ。『暗い過去を持つ詐欺師。哀しい旅路の果て、彼は初めて心を許せる友と巡り合う。彼らと運命を共にする一人の美女。それぞれの過去を清算するための闘いが、いまはじまる!』――はは、どっかで聞いたような話ですね」 「そうか…

道尾秀介『カラスの親指』講談社

足の小指を硬いものにぶつけると、とんでもなく痛い。 p.7

三崎亜記「同じ夜空を見上げて」(『鼓笛隊の襲来』光文社 より)

それは、決して手を伸ばすことのできない、幻の光だった。まるで、ありふれた日常というものが、ある日突然に、いともあっけなく消え去るのだということを思い知らせるように。 p.199 ハッピーエンドでめでたしめでたしの明るいトーンの物語よりも、喪失の…