丸山健二『水の家族』求龍堂

 ひと切れの死んだ竹の管から湧水のように溢れ出る幽玄の調べは、住民ひとりひとりの俗念をすっぱりと断ち、邪念を払い。城址公園の大山桜の花と、誰も正確な数を知らない桃の花を一層赤く染め、対岸の一本残らず生きている真竹を青々とさせ、その竹林に横たわるふたつの骸に、<私>と、<私>に真下の地下三十メートルで眠る古代人の少年に、淡い紅色の幻を与えつづけている。  p.277

 人間という生き物は、光と闇とのあいだをくるくると回る星の表面に、何の意味もなく、乱雑に打ち棄てられ、よろずの神々の暇つぶしの玩具として作られた、さもなければ、蛆のように湧いてしまった、そんな忌わしい鬱々たる存在ではない。人々は皆、ひとり残らず、黄金虫や野鯉や月の輪熊と同様、棘草や海藻や真竹と同様、忍冬や桃や大山桜と同様、あるいは、浜の真砂や河原の石ころや巨大隕石がもたらしたイリジウムと同様、あるいはまた、草葉町を片時も休まずに通過してゆく水や時の流れと同様、誰もが初めから終りまで、生きているあいだはむろんのこと、死んでからも完璧に解き放たれており、たとえ何者であろうとそれを妨げることはできない。  p.301

すべての雨は川に集められ、赤い橋の下をくぐり抜け、あの大水車を回し、深い竹林の傍らをゆっくりと流れてゆく。すべての水は眠っている人々の胸のうちを過り、悪夢と悲しみの名残りを浚い、それから漠々たる海へ向って静かに下ってゆく。


 忘れじ川は泣いて流れる  p.309