町田康『宿屋めぐり』講談社

 そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか?
 おそらくいいのだろう。嘘を言って人を騙さないとこの世の中を生きていかれないのだ。
 そして騙される方もまた、嘘を嘘と指摘して周囲から遊離するのが嫌で、それを嘘と知りながら気がつかぬ振りをして拍手喝采しているのだ。
 前の世界に居たとき、俺の友は言った。
「本当のことを言うと殺される」  p.153

 どいつもこいつも思慮というものがまるでなくペラペラの表面だけでうわ滑るように生き、行動している。嘘を嘘と知りながら、嘘を嘘だという人を野暮だといって嘲笑する。迫害する。自分に都合のいい嘘ばかりついて、辻褄が合わなくなると、「所詮、こんなものは嘘だから……」と言ってへらへらして責任をとらない。
 そんな奴らの嘘のツケがすべて私に回ってきて、だから私はこんなことになってしまったのだ。
 というかそんな嘘の世界に住む奴らなど別にいくら殺してもよいのではないか。そんな奴らを爆殺したからと言っていちいち気に病む必要はないのではないか。
 というか忘れていたが、さっき俺が起こした正真正銘の奇蹟はいったいなんなのか。
 そんな嘘の奴らを懲らすために主が俺に与えた力ではないのか。「この嘘を糾し、嘘の世界を滅ぼして真実の世界に戻ってこい」主は俺にそう言っているのではないだろうか。
 だったら俺はもうがっつんがっつんいく。  p.174

というのは、実はげっつく嬉しいこととちゃうんちゃうんちゃうん?
 そう思った瞬間、ブラボウが訪れた。
 ブラボウ。  p.180

しゃあけどそら間違いや。漫才ちゅうのはな、あの世のホンマとウソを我と我が身で抱え込んでこの世のホンマとウソをひっくり返す芸や。そのためにはウソに通暁してなあかん。ウソをたちどころに八百がとこひねりだすくらいのことはでけなあかん。儂ゃ、おまはんにはそれがでけると思たんや」  p.191

 本当に旨いものが持つ複雑な味を大衆は理解できないし、そんなものは欲していない。彼らにとって本物の素材なんてどうでもいい。どぎついフレーバーだけがお好みなのだ。
 そのくせしたり顔で蘊蓄を傾ける愚劣なバカモノども。死にやがれ、カス共がっ。
 と大衆を呪ったところで仕方ない。  p.273

そして俺は常に道を間違ってきた。こんな世界にばまりごんだのも、別に道を間違おうと思ったからではなく、当然こっちが正しいだろう、と歩き続けてきた結果だ。
 このように流浪する訳は? このように歩き続ける訳は?
 俺はいったいどこで道を間違ったのだろうか。
 しかし、考えてみればこの場合はどうなのだろうか。  p.305

 そんなことを言って女は清水を満たした盆と布を持ってくると、跪いて俺の足を拭き清めた。女が俺の足を洗った。  p.313

 走れメロス。から、走れコウタロー。にいたる距離はきわめて長い、というのはおいら腹から言ってるぜ。冗談じゃねぇぜ。冗談じゃないわよ。って、無実の人は叫ぶだろうか。そんな余裕すらねぇよ。あり得ない。って言うんだよ。だって本当にあり得ないんですもの。って、また、オレ、お調子者だ。走れ、コウタローだ。それだったら走ろうか?俺はコウタローじゃなく、おばはんだけどな。  p.554