宮木あや子「憧憬☆カトマンズ」(『29歳』収録 日本経済新聞出版社)

 恋の話は、いつまで経っても出てこない。その代わりに私たちは、上野動物園のパンダに就職したいという話で盛り上がり、いつの間にか終電になる。あのパンダの中には、絶対に人が入っていたはずだ。間違いない。  p.305〜306

「後藤さんそれ可愛いー。どうしたんですかあ?」
「頑張った自分へのご褒美なの。先週誕生日だったから」
「えー。いくつになったんですー?」
「二十九歳」
 彼女は、しまった、という顔をしてその会話を終わらせた。こちらも余計お世話だ。そのあと彼女は「自分探し」について語り始めた。きっと私に話を合わせてくれようとしているのだろうが、二十代後半の女が誰しも「自分探し」に夢中になっていると思ったら大間違いだ。  p.310

佐野さんは可愛い。ただの上司だったときは仕事に異様に厳しくて、正直早く死なねえかなこのジジイとか思っていたのに、男女になってしまえば彼は子猫ちゃんのようだ。 p.316〜317

  

「癒されたかっただけ。スパだのエステだのに行って『癒されたー』って言うの、ヤじゃない?」
「ああ、ヤだね」
「動物に癒されるのも、なんか癪じゃない?」
「ああ、癪だね。そうか、中学野球は癒しか」
「真剣になってる彼らからしたら、癒されるなんてたまったもんじゃないと思うだろうけどね。でも、なんか真剣さとか一生懸命さとか、そういうのってなくなって久しいじゃない、私たちの年齢になると」
「うん」
「なんか、元気をもらえない?」  p.323 

 宮木あや子に対して抱いていたイメージをいい形で裏切られる。引き出しがいっぱいある作家さんだったのね。痛快、痛快、そしてしんみりさせるところがありながらも、パワフルで前向き。やや上手くいきすぎでファンタジー入ってると思うけど、「29歳」という年齢の社会的自分的心もとなさが上手く掬いあげ、織り込まれて描かれていると思う。