大島真寿美『三人姉妹』新潮社

 あのね、夜中に一人で車で走ってると、あたしは自由だ、どこまでも自由だ、って気がしてくるの。これって不思議よ。どんなにへこまされている時だって、絶体絶命の時だって、あたしは壊されない、壊れてなんかやるもんか、って強く思えるの。このままどこまでだって行ける。好きな場所へ行ける。攻めて行くことだってできるし、逃げていくことだってできる。なんだってできるんだ、って。それから、あたしはあたしだ、って強く感じる。誰がなんと言おうとあたしはあたしだ、誰にも文句は言わせない、って。とにかく、あたしはあたしなんだ、あたしは平気だ、って強い気持ちが蘇るの。あたしだけ、特殊なのかなあ?でもね、仮にあたしのが特殊事例だったとしても、そういう効果がまるでないとは言い切れないと思うのよ。  p.53(「ジ・エンド」より)

いったん雪子さんを虚構にまぶして生身の女じゃなくしてしまうのが私達の解毒には必要だったのだ。現実に存在するあの雪子さんをそのまま理解するには私達はまだ幼すぎて、だから、とにかく映画にかこつけて話した。ていうか、その方がらくちんだったというのもある。映画!映画!映画! すべては映画の中に閉じ込めてしまえ。  p.56(「ジ・エンド」より)

「知らない」
「知らない?」
「知らない。観たことないもん」
「観たことない?」
「ない」
「ないのか」
「ない」
 なみなみと注がれたコーヒーを一口飲んだ
「ないくせに、傑作とか言うなよ」
「いいじゃない、言ったって」
「観てから言えよ。観てから」
「しょうがないじゃない、映画はいっぱいあるんだもん。全部なんて観れないよ。グンジさんだって全部観てるわけじゃないでしょ」  p.163(「ゴーストシネマ」より)

「いつ?」
「え?」
「いつ過去形になった?」
「いつ? いつって……今?」
「今? え? 今?」
「うん。今。今、過去形になった」
 適当にそう答えた
 消えていった映画はいろんなものを道連れにする。  p.163(「ゴーストシネマ」より)  

 ミニシアターでバイトしてるフリーターの三女水絵視点で綴られる姉妹の、家族の温かくってキュートな物語。個人的には右京くんと水絵の付き合ってるんだかそうじゃないのかはっきりしない恋の行方が気になって気になってたまらなかったんだけど、、、。会話の使い方が上手くて、大島さんやるなあと思った作品だった。ちょっと雰囲気『流しの下の骨』に似てるけど、いつまでもこの物語に浸って彼女たちが織りなす物語を読んでいたいと思えるお話だった。かな〜り好きかも。姉妹っていいなあ。あ、雪子さんもナイス!
 (くすり笑ったのは、長女が亜矢、次女が真矢で、年の離れた三女だけ名前に「矢」がつかない水絵だったところだったりする/笑)