鹿島田真希「嫁入り前」(『女の庭』収録 河出書房新社)

結婚という言葉をイメージする土人形は確かになかったけれども、彼は結婚するのだったら、私の子宮の中の糞を取るという。私は結婚という言葉が受肉した土人形なんだと思った。子宮が空の土人形。それを作るのにはきっと技がいるだろう。なにしろ中が空洞なのだから。そういえば土偶というのは、中が空洞だったような気がする。彼はもしかして、土偶作家に空洞がある土人形の作り方を教わっているのかもしれない。  p.108

 だけど勇敢な私は、空洞の土偶になって、子宮にどんなものを挿入されようとも、語らないまま、涙することはすまいと決断した。というのも、たとえ語る女になろうとも、男の暴力に負けて泣くのでは意味がない。空っぽの土偶は泣くことはすまい。水すら詰まっていないのだから。  p.118〜119

私は泣くまい。土偶は大量生産され、誰が誰なのかわからなくなるだろう。そして最後にはいらなくなって、木っ端みじんになるだろう。  p.119

 すると妹が、先生、私は子供などいりません、と言った。子供を産んだら、みんなが私のことを見てお母さんとしか呼んでくれません、きっとみんなは私の名前など忘れてしまうでしょう、私はそんなの嫌です。
 なるほど、と私は思った。子供を産むというのは、膣から自分の名前まで排出してしまうことなのだろう。私は妹の聡明さに感動した。私は名前のことなどどうでもいいが、妹はこだわっているのだろう。  p.142

 結婚を巡るあれこれを描いた2編が収録>『女の庭』。母親と娘の関係など、なかなかに興味深かった。