平山瑞穂『桃の向こう』角川書店

それよりは、この自分の中にたしかにあるといつでも実感できるもの、たとえ目には見えなくても、自分自身の支えとしていつまでも存在しつづけるなにかを、煌子は切望していた。
 そんな煌子の中で、恋愛という現象は、どちらかというと、雑音に近いものとして位置づけられていた。
 恋愛、恋愛、恋愛。世の中の女たちはどうしてああも恋愛にこだわり、それを重要視するのだろうか。  p.77(「第二章 シャボン玉の中へは」より)

 煌子にとっては何よりも自分自身が大事だし、自分以外に信じられるものなど究極には何もなかったからだ。  p.86(「第二章 シャボン玉の中へは」より)

晃司に対する誠意や信義の問題と言うよりは、自分自身のためだった。この居心地の悪さ。いるべき場所にいることができず、いるべきではない場所でいかにもそれらしくふるまいながらお茶を濁しつづけているような感じ。そこから逃れたかった。  p.97(「第二章 シャボン玉の中へは」より)

逆に、その時点では「誤解」であったものが、近い将来に「誤解」ではなくなるケースだっていくらでもある。そうなったらそうなったまでの話だ。
 それをあえて、まだ何も起こっていないうちから、あらかじめひとこと断っておかずにはいられないのは、一種の不器用さにはちがいなかった。ただそれは、煌子がかつて出会ったことがない種類の不器用さだった。幸宏の誘いをあっさりと受けたのは、そこに興味をかき立てられたからだ。  p.101(「第二章 シャボン玉の中へは」より)

「うん、わかるよ、言ってる意味」
 心のどこかに、ああ、言ってしまった、と叫んでいる自分がいた。
「言葉は本来、その言葉自体でしかありえないはずなのに、知らないうちにそれが、別の文脈の中に吸い込まれて、自分が意図したのとはまったく違う意味を勝手に担ってしまうっていうか」
「そう、まさにそれ」  p.104(「第二章 シャボン玉の中へは」より)

大事なのは、好きな女の子とできるだけ一緒にいられるようにすること、ただそれだけなのだ。  p168(「第三章 約束の聖地」より)

 ここで自分は、「幻想」がどうの「制度」がどうのと言いながら、自分なりの青春を生きていたのか。  p.246(「第四章 傘の行方」より)

 なんて回りくどい(汗)。奇妙な縁で結ばれた男同士の友情を描いた平成舞台の青春(?)小説。で、結局、煌子さんはどうなったの?あれでおしまい?