平田俊子「殴られた話」(『殴られた話』収録 講談社)

妙な具合に傷ついていた。宇宙にほうり出されたみたいに、自分が誰ともつながっていないと感じた。椎名のことを思った。ひどく遠かった。何十年も昔に死んだ男のようだった。  p.54

 じわじわと悔しさの水位が上がっていく。あんな女にどうして殴られなければならないのだろう。我慢しないで殴り返してやればよかった。ぼこぼこにやっつけてやればよかった。でももう遅い。女は逃げた。悔しい。悔しくてたまらない。  p.55

 たかが二発殴られたぐらいでどうしてこんなに苦しむのだろう。世界中のあちこちで、理不尽に殺されたり、傷を負わされたりする人がいる。この程度のことで苦しむなんてわたしは甘ったれなのか。ささいな暴力でも人は傷つく。からだは無傷でも、こころも無傷というわけにはいかない。  p.69〜70