佐藤正午『アンダーリポート』集英社

「血のめぐりの悪い男ね、相変わらず。あたしがそれを認めれば、認めたとたんに、あなたの身に危険がおよぶかもしれない。そんなことは考えてもみない?さっきあなたは、この物語は自分の人生とも関係があると言った。でもそれは言葉のうわっつらだけ。本当にあなたが、この物語と関わるとしたら、それはこれからよ。あたしがそれは実際に起きた事だと認めた瞬間から。  p.24

いったいあなたは、自分の人生が一生安泰だとでも思ってるの?人にどんな災厄が降りかかろうと、自分だけはいつまでもいまの自分であり続けると信じてるの?だったらそんな考えは捨てたほうがいい。いまここで捨てたほうがいい」  p.24

「人と人が出会うところに犯罪がある。新しい出会いのたびに、かならず不幸の種がひとつ蒔かれる」  p.174

「タバコの煙は、光の加減でときどき夜明け前の空の色のように見える」
「まあどちらでもいいけど」
「明け方の空をずっと見てたの。東京のホテルで。ソファにすわって窓の外を。そのとき吸ったタバコの煙は空の色とそっくりだった」  p.191

「映画の話はもうどうでもいいの。現実の話。いまのあたしには、自分の手で血路を切りひらくという道もあるんじゃないかということ。先の人生で何かが起きるのをじっと待つより。自分がお婆さんになるまでじっと待ちつづけるより」  p.193

私がやろうとしているのは日記を読み、読むことで遠い記憶をできるだけ手繰り寄せ、十五年前に起きた出来事を真実により近いものとして再現してみることだ。  p.200

「もし戒める力がどこにも見つからなければ、いまあなたがやろうとしていることは、あやまちではない」という村里悦子が自分で考え見いだしていた人生観。  p.210

だがもともとこれは村里ちあきとその母親、そしてもうひとりの女性の、三人の過去にまつわる謎なのだ。村里ちあきは幼い頃の失われた思い出を復元したがっている。いわば家族のアルバムから剥がされた一枚の写真、そこに写っているはずの謎の人物の顔を見たがっている。  p.263

 15年前の事件にまつわる謎の物語。物語の結末が冒頭にあって、固有名詞抜きに綴られる文章はまったく意味が判らず「???」手探り状態で「なぜそんな対決が起こることになったのか」冒頭の結末に向かって、物語を一から知ることになる。
 最後のページまで読み終えてから冒頭に戻ると、一文一文に重みがあってなんと意味深なことか。きっとこの物語は、ミステリと謎解きの物語として読んじゃいけないんだと思う。謎が解けたことにより主人公はきっと、自分自身の人生と対峙することになるんだ。