貴志祐介『新世界より』上巻 角川書店

 この間、時間を見つけては、過去の歴史をひもといてみたのだが、再認識させられたのは、人間というのは、どれほど多くの涙とともに飲み下した教訓であっても、喉元を過ぎたとたんに忘れてしまう生き物であるということだった。     p.7

 もう少し、この場所にとどまっていたかった。瞬と二人で、この完璧な世界に。
 わたしたちのカヌーは、星空の中心をたゆたっていた。わたしは、前を向いたままで、そっと後ろに右手を伸ばした。
 ややあって、瞬の掌が重ねられる。彼の細長く形のいい指が、わたしの指を握った。
 このまま、時が止まればいいのにと思う。瞬と二人、永遠にこのままの姿で溶け合ってしまいたかった。      p.136

 そして、さらに思った。
 もし、この感覚が閉ざされてしまったとしたら、それでも猶、わたしたちは呪力を行使することができるのだろうか。
 そういえば、と思う。
 わたしたちの町には、なぜ、視覚や聴覚を失ってしまった人たちが、一人として住んでいないのだろうか。     p.137