長嶋有『ぼくは落ち着きがない』光文社

 議論がエキサイトした末に健太郎が放った「そんなに世界の亀山工場が好きなら亀山に住めよ!」という啖呵が望美のベスト賞で、「二人とも家で今使ってるテレビはなんなの」と最後に部長に聞かれ「ブラウン管です」と口を揃えて終わったのも美しい着地と思う。  p.50

 一つの事件が解決する直前、主人公の金田一少年は一ページ大ゴマで「犯人はこの中にいる」と見得を切る。そのところで必ず顔をあげてみる。
 別にそれほど没入しているわけではない、視界の中に犯人がいるわけでも(もちろん)ない。望美はしばしば、本を読む途中で顔をあげてみる。読書はときどき素潜りのようだ。本を読むとき、いつも首を下に向けているから、その上下運動が潜る、浮上するという行為を連想させるのだろう。
 だけどもっと大げさな、それこそ水面下と空気のある地上というくらいに隔たったところから戻ってきたような錯覚がある。安心と残念と、純粋な驚きとを感じる。  p.60〜61

 部室の皆をさりげなく見渡し、蛍光灯の半分飛び出してみえる天井をみあげ、外のことを思う。今、このベニヤの壁の外にあるのは図書室だけではない。世界の全部があるのだ。ベニヤで区切られた外側の世界のすべてが。  p.83

 でもいいんだ。望美はまるで明るい気持ちだ。いつか仲直りできるかもしれないから、ではなくて――むしろ卒業したりすることで、綾だけではない、いろいろな人とどんどん疎遠になっていくだろうと確信しているのだが――本を読んでいたことで、この気持ちを、殴られた痛みまで含めて、あらかじめ知っていたからだ。
 本はつまり、役に立つ!  p.150

 みんなみんな、生きにくい。  p.143

 もうあだ名を呼べないことの寂しさは、もう会えないということの寂しさと似ているけど、区別したい。  p.183

 桜ヶ丘高校の図書部員。望美、頼子、綾、健太郎、ナス先輩、登美子、部長(大岡さん)、岩田、幸治(腕まくり)、沙季、尾ノ上、樫尾。そして「片岡哲生」。