いしいしんじ『四とそれ以上の国』文藝春秋

海岸を歩いていて、南洋の果物を拾いあげ、影をなせる枝が茂る遠い島に思いを馳せたのは赤く長い鼻の男や祠について詳しかった痩せた民俗学者で、この果物のことを『海上の道』という本に短く書いた。この本は読んだことがあった。また、この流れついた椰子の実の話を友人である民俗学者に聞き、「名も知らぬ遠き島より」ではじまる詩を書いたのは、人間が道から外れたりまた戻ったりという様を作品に書いた小説家で、本人も道に外れたと思うようなことをしたことがあった。その小説家の本も読んだことがあった。そして小説家は、鯨漁の盛んな、大きな磯のある港町で亡くなったのだ。男は椰子の実を見たことがなかった。この歌をはじめてうたった頃鯨のようなかたちを想像していたかもしれない。それはまた流れつくボートゥルのかたちでもある。女が歌っている。海の日の沈むを見れば。たぎり落つ異郷の涙。  p.116(「道」より)

鳴門の渦を見に来るようになって男は弟にきいてみたが外国の小説家が二百メートルの直径をもつ、すり鉢のように切り立った大渦にのみこまれる漁師の話を書いているといった。競馬場のことを考えた。左向きにも右向きにも回る。あれほど大きな渦ということならそれはもう海流といってもいいくらいではないか。弟はその小説家の書いた小説や詩がわりと好きだといい、剃刀のついた振り子が徐々に落ちてくるとか、「くろねこ」の話をしてくれたのだった。酒に溺れて死ぬ間際、こういっている、と仰向けの弟は正確な外国語の発音でいった。イーッツ、オウルオーヴァ、ナーウ、ライッ、エディ、イーズ、ノォモォ。何もかも終わりだ。墓には「エディはいない」と書いてくれ。エドガー、アラン、ポー。嘘つけ、と男はうねる海面を双眼鏡で見つめ内心でつぶやく。  p.136(「渦」より)

たかまうあわの、なるとかな。ボートには渦を見に訪れた他の人の俳句も記されていた。五、七、五、と男はおもった。五、七、五。目に見えない渦の流れ。右、右、左。右、左、右。それとも、左、左、右。五、七、五、の渦のなかにこの世が回転しながら引きずり込まれ無限に小さくなっていく。背中に穴のあいたまま俳句をつづけた正岡子規がその何千という俳句のなかに無限に小さくなりそして消えていく。行ってその帰りはないのだと男はおもった。耳のそばでエディの声がする。正岡子規かもしれない。イーッツ、オウルオーヴァ、ナーウ。男は駆け出して転ぶ。  p.156〜157(「渦」より)

居間の裏の書庫でごそごそやっているうちこれやこれやとよく通る声でいい、木床に杖を叩きつけるようにして居間へもどると頭は五郎みちみちこれ読んで行き勉強になるで、といった。差しだされたのはこれが本かとおもうくらい厚みがある文庫本で題字をみると細い雪とあり、すると頭はちゃう、ささめゆきや、といった。五郎お前職人としてはまあまあやが、男
としてはしょうにのようなもんじゃ、藍を追いかけるゆうこと自体、追いかけながらわれで考えてみることや、といった。干し柿食うていけ、といった。五郎は干し柿を食った。  p.178(「藍」より)

男性は指先で小説を読むのが好きで昔のものから最近よく売れたものまで満遍なく読んでいた。読んでいるときは目が見えへんの忘れますと男性はいった。五郎が驚いたことに男性は最近細雪を読んだらしい。五郎は興奮し思わず腰を浮かせ、細雪を読むというのは見た目はちがいますけどお遍路とか仏教に通じているようにおもいませんかと男性に急きこんでたずねた。男性は息をのんだが少し考え、あ、そういうことかもしれませんね、といった。  p.212(「藍」より) 

 「塩」=高松、塩、人形浄瑠璃、『女殺油地獄』。「峠」=松山〜高知、英語教師→夏目漱石(『坊ちゃん』)、小泉八雲。「道」=お遍路、鯨、椰子の実→柳田国男島崎藤村「渦」=明石〜鳴門海峡〜徳島、野球→正岡子規、渦→ポー、正岡子規。「藍」=徳島、吉野川、藍、お遍路、『細雪』。