中島京子『エ/ン/ジ/ン』角川書店

「あっちゃんて、誰なんですか?」
「あっちゃんは、エンジンよ」  p.60〜61

 おそらくとくに装飾的なフレーズではなかったのだろう。ある種の時間を言い表そうとすると、そんな言葉になるのかもしれない。人生の、まだ若い時期には、誰にとっても、ご褒美のように、あるいは懲罰のように、少し長い休暇が訪れる。
 そんなことを考えたのは、まるで同じ言葉を十数年前に営業マンが口にしたのを思い出したからだ。
(あれは自分にとって、少し長い休暇のようだった)
 きっと彼らが言おうとしたのは、果たすべき義務を免除された猶予期間のことだけではなくて、その先に己の人生を進めるための、特別な立ちどまりの時間、というほどの意味だったのだろう。  p.141

「子供はみんな、ミライなの。ほんとうよ。子供ってね、未来そのものなの」
 ふふふ、ふふふ、と礼子は笑った。  p.190

あたしたち、同じ空気を吸って、同じ時代を生きてたのよ。それはとても特別なことなの」  p.209

 なんだかなあって、思ったんですよ。
 何がほんとうなのかを知るのは、なんてややこしいんだろうってね。 p.231

だけど、捜そうとは思わねえんだよ。会いたいってのは、どっかでばったり、おう、おまえ、元気だったのかよとかって、そういう感じに会いたいんだよな。薄情な人間だと思うだろうが、捜して捜して泣きながらハグなんてえのは、やりたくねえんだ。熱も嫌がるに決まってるしな。そういうんじゃねえんだ、俺と弟は」  p.313

 埋まらない部分はたくさん残っているけれど、誰の過去だって埋まらない穴のようなものはあるはずだ。母親の記憶の中から、やがて自分も消滅するだろうけれど、自分の中に植えられた新しい記憶が、その喪失をいくらかは補うだろうと彼女は言った。  p.325

「おかしくて、ほのぼのしてる。家族団欒が目に浮かぶ。そういうものが、わたしには欠けてるものだなあと思うよ」
「欠けてても、まったく問題ないね」
「そう。問題はない。でも、あると、ちょびっと豊かになる記憶よ」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」  p.326

「だってそれはみんな、子供番組の作り話じゃなくて、現実の話なんだもの」
 憎しみと報復、暴力と殺戮の、永遠に終わることのない連鎖が、人間の本質そのものだと思ってしまったら、きっとその誰かは、エンジンになってしまうよ。
 そうではない何かがあるなんて言ったって、きっとその耳には届かないよ。
 だって、そうじゃないと証明するのが不可能に思えるくらい、世界は憎しみに満ちてるんだもの。
 そうじゃない世界があるよって言ってあげることすら、憎しみを掻き立てる原因になりかねないもの。  p.329

「大きな間違いを正そうと思って何かを始めた人たちの小さな間違いを見て、同じその間違いを犯さないようにと思っていたのに、気がつくと間違いだらけ。あなたもそうだった?」  p.340

これから何年もの間、喪失と虚無が私達を包むようなことがあっても、私が信用できない年齢をもっともっと超えて、すっかりおばあさんになってしまっても、私はアカルイミライを信じて生きていくことにするわ。それを信じなくなるなんて。若かった私への裏切りだもの」  p.342  

 ああ、中島さんの小説、大好きー!これ、ミライが直接自分の父親たるエンジンを捜す話じゃないところがいい。ひょんなことから一連の騒動に巻き込まれた葛見隆一が、このミライの父親探しの物語を書く作家に語るというスタイルがぞくぞくするほど素晴らしい。父親がどんな人間だったのか知ることはミライが自らの存在意味を知ること、自分の居場所を獲得することに繋がる。ミライの母親礼子が記憶を無くしていく病気で、父親であるエンジンはもちろん、自分の娘であるミライのことさえも記憶から欠落させていってしまう、という設定がすごく効いていると思う。忘れないで、覚えていて。
 この物語自体が次へ繋がっていくんじゃないかと考えるだけで嬉しくなってくる。とびきり素敵な小説を読んで大満足。