円城塔「つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』文藝春秋刊より)

発表の機会に恵まれぬ良作以前に、発表されたにもかかわらず、読まれる機会のないままに流れ去っていく本たちが、私の想像の中から今も忘却され続けている。 p.112

書評氏から私に提示されているものは、ただR氏と私がそれぞれ勝手に書き出したものの類似性のみに留まっており、この相同性は私がR氏の著作を読んだことがないという事実によって、こうして賭けを始める役に立ちこそするものの、著作そのものを読むことが私にとって有益であるかという問いへの答えは、むしろ否定的なものとなる。  p.113

 J・マビヨン師「メルクのアドソン師の手記」
 M・テメスヴァル「チェスのゲームにおける鏡の効用について」グルジア語原本。
 P・メナール「塔のひとつを除くことによってチェスをより豊かなものにする可能性についての技術的考察」
 S・マリオ「とどのつまりは何も無し」  p.120〜121

何事も成しうると宣言した人物が実際にその生涯において全てのことを成し遂げ終わった例しはないのだし、一つ一つの文字を置かれて伸張していく道の分岐は余りに激しく、ただ野放図に展開していく。一つの文字の反転が全体の調子を悲哀から憫笑へ変転させることもままあり、改訂に改訂を重ねて一向に印象の変わらぬ場合も少なくはない。その驚天と動地に翻弄されつつ、誰かの著作に泳ぎ着くこと。図書館は迷路を成しており更には本に書かれており、その図書館に収められている。あなたは活字を壁と見誤って西へ東へ歩を進め、本を図書館として散策して、図書館を本として読み進め、南北の壁を文字と読み変えて道を開き、ページを本棚と見做して行く手を阻まれる。その渾沌の中で失われてしまっている本を見出すこと、混沌に七つの穴を穿ち、その本へ辿り着くトンネルを掘り進むこと、更にはその図書館に、その本の書き方を書いた本を付け加えること。全てが文字へと置き換えられてしまっており、読み出し方の書かれた本を読み出す者もいなくなった一つの古書店。全ては法則に貫かれてしまっており、法則によって書かれてしまっていて、法則に動かされるものの姿は消え果てている。
 あなたと図書館の戦いでは。  p.132

 古書店を縦横に巡る階段の下、短剣に胸を貫かれてとめどなく血を流す糸屑まみれの星型がくるくると踊り続けて、名を訊ねると、オドラデクとだけ答えを返す。  p.133