楊逸『時が滲む朝』文藝春秋

「学生さんよ、文学か何かわからんけど、若さだけで血が騒いでいるんじゃないか」  p.45

 志強が泣いている。隣のその気配を感じつつも、志強の顔を見られない浩遠は、目をTシャツに据えた。英露の二文字が濡れて、次第に青いインクが溶け、浩遠の目に広がって、ふと色のない混沌と化していった。  p.89

 隙間風が急に乱流のように感じられた。目を開けると向かいの志強は大きな両手で顔を覆っている。息が俄かに荒れた。きっと自分と同じようなものが込み上げたのだろう。志強の姿の向こうに英露の面影が見えた。  p.94

父親の言う通りの素晴らしさだった。八九年のあの初夏の朝、黄土高原を走る列車の中で見た朝日とはまた一味違う素晴らしさだった。  p.131

「中国ってどこ?」民生が訊いた。
「パパのふるさとよ」桜は知ったかぶりに応えた。
「パパのふるさと?ふるさとって何?」
…中略…
「ふるさとはね、自分の生まれたところ、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟のいる、温かい家ですよ」
「じゃ、たっくんのふるさとは日本だね」  p.150