古川日出男『聖家族』

俺……ばば様」
「何だい?」
「時間のデッド・エンドなんだよ」
「英語だね?」
「英語だよ」
「いいかい、狗塚は没落した。家の歴史は、誰も憶えていない。お前の父さんの、あれはね、頭が良すぎる。頭が良すぎて、こう言ったよ。書いでね歴史は信じらンね!  p.19(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

「記憶だね、ばば様」
「記憶だ。記録じゃないよ」
「それだね、ばば様」
祖母は笑う。
孫も。  p.20(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

(そうだ。みちのく(傍点)。俺たちは探求する。俺が歴史だ。俺の、この肉体が。記憶するんだ。五百年……違うな、六百年……足りないな、七百年の妄想を)  p.35(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

(カルトを探す)
兄さん。
(それは起源だ。この東北の、起源だ)
兄さん。
(この妄想の東北の)  p.61(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

「思い出している。あたしにはそれがわかるよ。確信できるよ。これは予言だ。お前は立派なばば様になって、それからここを生きずに、あっちを生きる。つまり、たとえば、歴史を。だからあたしは、らいてう、お前に預けるさ。あたしの記憶を預けるさ。いいかい?大事なことはこれだよ。ばば様はね、ばば様のばば様の孫だった」
「ばば様は……ばば様のばば様の?」
「孫さ」
「それは、あたしの?」
「何代前かって?数える必要はない・あたしはばば様の孫でね、お前はこのあたしの孫でね、そしてばば様になったお前には、ほら、やっぱり孫ができただろ?」  p.77〜78(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

ウラって何?
 表じゃないことだよ。はくてうは即答した。
 オモテ?
 この世の全部が、表だろ?  p.86(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

 俺は生まれてきたんだよ、と兄は言った。生まれてきたんだよ、生まれてきちゃったんだよ。  p.106(“狗塚らいてうによる「おばあちゃんの歴史」”より)

 ない、と結論は感得される。直観。
 いっさいが閉じた。閉じながら、環は、崩壊した。
 記憶が封印されたことを何者かが知る。  p.258(“地獄の図書館・大潟”より)

「歴史だ。俺たちの肉体に、それが宿る。俺たちの肉体に、それが記憶される。俺たちは記憶させる。いま、ここでも」  p.272(“聖兄弟・3”より)

そして二人のお前たちはともに鍛錬に励んでいる。秘められた体術の。公認の歴史には抹消された殺しの術の。兄がそれを弟に教える。兄がそうして弟を鍛える。青森秋田岩手山形宮城福島。妄想の東北史にだけ孕まれている修験に類したカルトの記録。  p.405(“「見えない大学」附属図書館”より)

そして、ここは、ほら。
 東北。
 名前は付いた。方位からは、逃れられない。  p.430(“記録シリーズ・鳥居”より)

いずれにしても、肉と時間の齟齬は、記録されたものの双方の歴史を無効にする。さあ、そして。さあ。  p.477(“記録シリーズ・天狗”より)

 

未来の記憶を夢の材料にしているのも同じだ。だとしたら、時間という制約はないね。現在もなければ、それ以前もないんだから。さあ、交信しよう(こうしん?←傍点)時間の縛めを無効にして、一緒に(交信)そうだよ、ほら。  p.734

 断片が、時空を超えた血脈の記憶が繋がる快感。家族と消された東北の歴史の記憶が重層的に絡み合い物語から立ち上がってきて、ただただ圧倒される。この文体ならでは、でしょうな。他の著作も連想させ、拡散の予感もある。

白雉(しらきじ)、(白鳥(はくてう)、雷鳥(らいてう)、龍大(たつひろ)、真大(まひろ)、有里(あり)、牛一郎、羊二郎、カナリア、十左、秋、夏
「記録に合わせて現実を修正する」能力。