藤谷治『船に乗れ!1 合奏と協奏』

「未来はある
 空を見上げたまま、父はいった。
「それでも、未来はあるんだ」
 僕は父を見なかった・
「そうだろ?」
 僕は答えなかった。  p.31

 僕は何か、ただ透明な寂しさみたいなものが、胸の中に染み通っていくのを感じた。そのときは言葉にならなかったけれど、それはもしかしたら、こんな気持ちだったろう。僕たちは自分のやらなきゃいけないことの、主役にはなれないんだ(すべて傍点)。僕たちの人生の主役は音楽で、音楽の、この絶対的な美しさの前では、僕たちの喜びや悲しみ、怒りや苛立ちなんて、ほとんど意味なんかない。音楽はこの世にあらわれる、この世ならぬものだ。この世ならぬものにとって、この世のものごとは哀れな莢雑物にすぎない。  p.140

「津島君て」南が口を開いた。「普段と音楽と、全然違うね」
「普段?」僕はどきどきしながらいった。「そうかな」
「音楽だと、繊細だね。繊細なところが出るね」  p.144

『演奏している津島君は、最高にきれいです。  南枝里子』  p.245

 アンサンブルには二種類ある。「合奏」と「協奏」だ。全員がひとつの音楽を奏でるために、気持ちをひとつにして、大きなハーモニーを作り上げていくのが、合奏。自分が全体の部分であることをわきまえて、一人ではできない音楽を全員でめざす。このあいだまで苦労していたオーケストラはそういう音楽だった。
 反対に、一人ひとりがせり合って、隙あらば自分が前に出ようとする、ときにはそのために共演者の音を食っていこうとさえする、それが僕のいう「協奏」だ。そこでは人を引き立てるために自分は我慢するとか、相手の腕前に合わせるとか、そんなことはしない。誰もが自分こそ主役だと主張して音を出す。たとえば、協奏曲とはそういう音楽だと思う。あれはソロ楽器とオーケストラが、互いに自己主張してゆずらないところに生まれる、緊張の音楽だ。そしてピアノ・トリオもまた、そういう緊張の持続なのである。  p.259〜260

 不本意ながら入学した音楽学校を舞台に、友情に恋に音楽に真剣に向い合う15歳のサトルが熱くて初々しくって、とても眩しい青春音楽小説だ。時代背景は80年代なのかな?「あの頃」への追想、過ぎ去った日々へのほろ苦さも感じられるところもまたいい。次巻に何やら起こりそうで、完結するまで目が離せない作品になりそう。作中演奏される曲を実際に聴いてみたーい!

 無伴奏チェロ組曲ベートーヴェンの「春」第1楽章、メンデルスゾーンのピアノ・トリオ第1番ニ短調より第1楽章と第2楽章、ヴィヴァルディの「忠実な羊飼い」、BWV605と615