恩田陸『ブラザー・サン シスター・ムーン』河出書房新社
記憶って本当に不思議だ。一年、二年、三年、四年と順ぐりに収まっているのではなく、まさに「順不同」で四年間があたしの中でひとまとめになっている。
こうして思い出すのも、断片ばかり。 p.21(「第一部 あいつと私」より)
そもそもあまりにも平穏で、たいした話もない。
何もなかった。何もしなかった。
その癖、妙に痛い気がするのだ。あの無為さ、愚かさ、平凡さが、時を超えて心の底で鈍く痛む。
すべてがちぐはぐでぎくしゃくしていた。それでも、そこから踏み出せばもう少しおのれのキャパシティを広げることができただろうに、何もすることなく何もかも小さいサイズに合わせ、広がる機会を逸したまま時を過ごしてしまったような気がする。 p.22(「第一部 あいつと私」より)
やっぱり。面白くなきゃ嫌。
小説は、読んで面白くなきゃ。本の中に入り込んで、自分がページに没入してるのを感じられるくらいでなきゃ嫌。振り回されたい。圧倒的なテクニックや、強烈な世界観に。小手先の性悪女じゃなくて、ファム・ファタルに巡り合いたいってことなんだろう。 p.28(「第一部 あいつと私」より)
結局、世界は無数の「あいつと私」で成り立っている。
私もあの人も、無数の「あいつと私」のひとつであり、しかも決して他の「あいつと私」になることはできない。 p.51(「第一部 あいつと私」より)
大学生というのは、あまり停車駅のない長距離列車に乗っているようなものである。 p.99(「第二部 青い花」より)
そうだ、あの時、三人で、蛇を見た後、三叉路に立った。
衛はその光景をありありと思いだした。
町には人がいなくて、気味が悪くなって、あの三叉路で、立ち止まった。
あの時、衛は考えたのだ。未来とはこんなふうに予測不能で、不定形なものに違いない、と。それが続いていって、未来になるのだと。 p.123(「第二部 青い花」より)
だから、今はあの三叉路のことを考えよう、と衛は思った。
あの三叉路は衛にとって、現在進行形の疑問。今この刹那を生きる彼の、不定形な未来のかたちなのだから。 p.127(「第二部 青い花」より)
空から来た蛇。もつれあい。絡みあって水の中に落ち、しばらくそのまま泳いでいたのに、やがてバラバラになって、違うところを目指して泳いでいく。それってまるで―― p.183(「第三部 陽のあたる場所」より)
探していた風景のひとつが思い出せたからって、どうということもなかった。ただ、思ってもみなかったところに、それが埋もれていたってことは分かったけど。それが思いがけず大事なものだったってことも。これからも、そういう思いもつかない場面を掘り起こしていくんだってことも。
たぶん。
たぶん、僕はこれからも、ほとんどのやりたくないことをやりつつ、「趣味はない」と言いつつ、この仕事をやっていくのだろう。 p.185〜186(「第三部 陽のあたる場所」より)
私たちは、別れるために出会ったのね。 p.189(「第三部 陽のあたる場所」より)
悪くはないけど、なんかとりとめのない話だなあと。断片を収集してくれる第三部があってくれて本当によかった。しっかし、、、タイトル、「三匹の蛇」のがしっくりきませんか?
うげげ。「サンドイッチ航路」て実在するのかー。