小池昌代「つの」(『ことば汁』収録)中央公論新社

 たしかに先生の詩はもうすでに「息」であった。何か書けばそれがそのまま、吐く息である。もう、そこには言葉があるという感じすらない。
 読んでいると、わたしはただ、おいしい空気を吸っているような気分になったものだ。どこにもあざといところはなく、技巧も感じさせず、限りなく自然、子供でも知っているやさしい言葉で、深い井戸のような沈黙を書かれる。  p.43

 そのよろこびは、すべての現実を飲み込んだ。先生も、先生の新しい恋も、新しい恋人も、わたしじしんも、これからの予定も、なにもかも。
 わたしはいるのに、もはやここにいないも同然だった。肉体はとろけおち、ただ、ツノという突起が、すべての感覚を統御していた。三十数年が、わたしという大鍋の肉体のなかで、どろりどろりと、かきまぜられていく。  p.69