井上荒野「石」(『あなたの獣』収録 角川書店)

「あなたは、いつも、どこにもいなかった。私が本当に許せなかったのはそのことなのよ。食事をしていても、子供を抱いていても、私の足の爪を切ってくれるときだって、あなたはいなかった。もうずっと前から、気がついていたわ。あなた、私が気がついていることを、知っていたでしょう?」  
 僕は黙っていた。答えられなかったのだ。でも妻も、僕の答えを待っているふうではなかった。  p.91〜92

「テレビドラマの科白みたいね。全部、ドラマの中のことみたい。ねえ?」  p.104