瀬川深『ミサキラヂオ』早川書房

 ――もう、仕方ないんじゃないかなあ。これだけ世の中の流れがゆっくりしちゃえばな。ちょっとぐらい時間がズレることだってあろうさ。  p.63  

 ――俺さ、時々、今生きているこの時間が切り取られて、ぽかんと歴史の中に宙ぶらりんで浮かんでいるような気分になるんだ。  p.65〜66

 ――あんがい神様は意地悪でね。なかなか、世界を解釈させてくれない。  p.172

どんなことであっても、モノを作り世界へと放つというのことなのだ。射た矢がどこまで届くのか分からないように、投げた石がどこに落ちるのか分からないように。  p.263

困惑するDJタキを農業青年は静かに諭す、循環を侮っちゃいけないよ、時間は循環しながら変化し続けるんだ、なんだってそうだ、春は必ず巡り来るけれど同じ春は二度と訪れないだろ?  p.346

瀬川深『ミサキラヂオ』早川書房

 なにしろあてにならないラジオだった。ラジオ局の配布する番組表に舌を出すかのように。ラジオは気まぐれに思い思いの音を流した。どんな曲が流れ始めるか、どんな声が語り始めるかは、スイッチをひねるまで誰にも分からなかった。  p.7

田山朔美「霊降ろし」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

 信じるかそれとも信じないか。結局のところ、差はそれだけなのかもしれない。だとしたら、私は信じたくない。信じてしまったら存在する。そうなったら、こちらの世界に引っかかりのすくない私は、あちらの世界に引きずり込まれて戻ってこられなくなる気がする。  p.126

 フェンスと、その向こうの空を眺めた。境界線が、このフェンスみたいだったらいい。内側は安全、外に出れば危険。わかりやすい。それに向こうの様子も見れる。それだったら、悩む必要なんかないのに。  p.149

 どちらが幻で、どちらが実体がある世界なのか。あちらとこちらの境界線上で揺らぐ主人公。引き留め繋ぐ明るい存在に救われる。

田山朔美「裏庭の穴」文藝春秋(『霊降ろし』収録)

「なにを埋めたの」
私は小さな声で聞いた。
「なにも埋めてないよ」
嘘だ、と私は思った。
「ねえ、なにを埋めたの」
母は私を見ずに言った。
「朝子、この夢は楽しい?」
「夢?」
「そう、ここは夢のなかだよ。朝になったら消えるんだよ」  p.9

「死んだように生きたって無意味なの。それじゃあ生きていても死んでいても同じ。ねえ、あなたはなんのために生きているの」  p.78

稲葉真弓「光の沼」新潮社(『海松』収録)

 この土地の古い言葉で「食べなさい、飲みなさい、走りなさい、飛びなさい」という意味の<聲>が、地底とも天空ともつかぬ場所から聞こえてくる。楽しいことのすべてを、こちらへ託すような<聲>。同時にそれは、あっという間に五十数年を過ごしてしまった私を、もうちょっと先へと促す<聲>のようでもあった。ちゃんと食べ、飲み、走り、飛び回っていさえすれば、どこかにたどり着くよと励ます<聲>。  p.90

 無月の夜なのに、明るい夢の中にいるようだった、自分の<聲>が、初めて、心底、なにものかに向かって無心に音を発している、そんな気もした。
 ふいに私の中を、もうひとつの光のように、言葉がよぎっていった。
「私ハ市ヌガ、我々ハ生キル。」
 死んだ男友達の一人が書き留めていった言葉。ある時期、やたら気にかかっていた「我々」の意味が、隙間なく眼前の闇にひしめいている気がした。  p.98

稲葉真弓「海松」新潮社(『海松』収録)

ずっとずっと仕事をしてきたのだ。食べるために不健康な毎日を送ってきた。生きるために不健康を選ぶのは矛盾じゃないか。だからここではなにもしたくない。無意味な暮らしがいい、空っぽの日々がいいといつも思う。  p.19

そんな時間が私にもあった。私の中に差し入れられた核は、みなクチナシの花のぱりぱりと乾いた夢の中で滅んでいった。まだ近くにある、まだ大丈夫、思う端から死んでしまった私の核たち。私の中を通りすぎた無数の月の満ち欠け。快感か苦痛かわからないものが、一瞬体の奥を通りすぎる。きっと牡蠣にはわからないだろうな、私たち人間のことは。それでいいのだ。  p.44

 ひたひたと潮が満ちる音がした。その潮の向こうから、明るい光がさしてくる。目を細めてみるとあれは灯台。真っ白な灯台が、宇宙船そっくりに浮かび上がっていた。こんな湾の奥にも岬の灯台の光は届くのだろうか。過去から射しているのか、黄色味を帯びた照明の輪の中に、この家に集った人々の顔が浮かび上がる。
 灯台へ灯台へ。そう、私もいつかは灯台へ行かねば、宙に浮いたままの時間の折り合いがつかぬ。 
 あれは私のタイムマシーン。もうそこには行けない人の替わりに、乗ってみるのだ。そこで誰も見なかった光を見てくるのだ。  p.49