作品か行
「四十二歳ですよ、わたしは」去り際に言うと、鳥勝はぱっと顔を輝かした。 「なんだ、若いじゃない」 わかい? わたしは聞き返した。 「そうだよ、三十四十のあたりは、あたしらからすると、中若だよ」 いつの間にか八百吉のおばちゃんがすぐうしろに立って…
神様の忘れ物なんかもうどこにもない。 p.152 ゴドーは来ない。p.156
聞こえるか、香折。父さんは廊下に座って話をする。この扉は開けない。 p.3
「えっ、なんで?」 と言ってしまった瞬間に、彼女は後悔した。男が別れると口に出したときは、すでにそれは決定されていることで、なにをどうしたって、くつがえされることはないことを彼女はよく知っていた。 「なんで、なんで?」 気持ちと言葉が必ずしも…
「だけど依頼人は、犯人を特定できるだけの情報を自分が持ってないからこそ、ここに調査を依頼しに来るんだよな。情報が足りてたら最初から安楽椅子探偵の出番はないし、かといって足りてなければ探偵も情報不足で推理はできない。考えてみれば矛盾してるよ…
伊坂 そうですね。斎藤さんがいなくて、その曲が存在しなかったら僕はたぶん、今のような小説家にはなっていないでしょうね。 p.36 言ってしまうと、なんかベタベタで嫌なんですけど、出会いは雨のバス停でした。 斎藤 おお、雨のバス停! p.37 伊坂 そう…
秘密を守るために。何かを隠し続けるために。 秘密とは不思議なものだ。誰かにとっては秘密でも、別の誰かには秘密でなかったりする。 p.253 「世の中には、掘り返さないほうがいい場所、手を触れないほうがいい場所というのがあるんじゃないでしょうか。こ…
もしもあなたが水無月橋を見に行きたいと思うのならば、M駅を出てすぐ、いったんそこで立ち止まることをお薦めする。 p.5
窓際に座った長女は、ぼんやりとまた風土と、その土地柄に染み付く人間の性質について考えてみた。特に答えは出なかったが、こうして女三人一緒に行動してみて、いやが上にも実感する。自分たちがどんなに抗ったとしても、結局は北陸の女でしかないだろうと…
北陸の天気は基本的に曇天。 p.3
「中村青司か?」 「誰ですか、それは?」 p.17 綾鹿市出身で引退した元財界人日暮百人が、鳥搗島に日暮美術館という建物を建てた。”現代アートは制作過程そのものが芸術行為”という主張に基づき、招聘された6人の若手アーティストたち。芸術作品が完成しお…
「劇の内容が書いてありますよ。『暗い過去を持つ詐欺師。哀しい旅路の果て、彼は初めて心を許せる友と巡り合う。彼らと運命を共にする一人の美女。それぞれの過去を清算するための闘いが、いまはじまる!』――はは、どっかで聞いたような話ですね」 「そうか…
足の小指を硬いものにぶつけると、とんでもなく痛い。 p.7
人は案外に、多くの秘密や隠し事をしまいこんで一生を終えるのかもしれない。満たされて、思い残すことなど何一つなくて、凪のまま逝ける者なんていないのかもしれない。 p.191〜192
廊下の硝子戸から、光が差し込んできました。秋の日差しは柔らかいけど、脚が長いのです。 p.7
「先生。私は、父が病で倒れるまで、父と真剣に向き合ってきたとはいえませんでした。でもこの間、懸命に父のやってきたこと、やろうとしてきたこと、そしてやりたかったことを捜し求めてきたつもりです。そして出した私の結論が尊厳死でした。でも、でもダ…
内海綾子は、八幡平の麓の町から盛岡市内へ向かって愛車のバイク、イーハトーブに乗って走っていた。 p.5
留美を含めて三人を殺害し、九人に重軽傷を負わせた藤崎が罪に問われることはなかった。この世の中には、人を殺しても、残虐な罪を犯しても、罰せられない者たちがいるのだ。 『刑法三十九条』という法律によって。 心神喪失者の行為は、これを罰しない。 心…
公園は白い雪で覆われていた。陽の光に照らされた雪がきらきらと輝いている。 p.7
私たちが見たいのは、一種の「ミシルシ」みたいなものなのかもしれない。この島で私たちが正しく生きているという神託みたいなもの。 p.9(「三月」より) 「ええ、まあ……」 「どうして?」 「どうして」 石和は私の言葉を繰り返し、ちょっと笑った。困って…
明け方、夫に抱かれた。 p.3(「三月」より)
日頃は注目したことのない納豆コーナーで、その種類の豊富さにわたしは目をみはった。ヨーグルトはプレーンといちご味しか置いていないというのに、こちらは十五種類ほどもある。陣取っている棚の幅も段違いで、あらためてこの町での納豆以外の発酵食品の不…
わたしは毎日、七時五十五分のバスに乗る。 p.1
緩んじゃったんじゃないのという母の言葉を雨の音と合せずっと忘れないでおこうと決めた。 p.87 戸がぎいーと鳴って子どもたちが庭へ入ってきた時に間違って切り落したのは一つだけではなかったか。廊下へ出る前に自分が全て切ったのか。蕾を拾い集めた。桜…
「自分の鼻って、ほんとは見えないんだよね」 夫は、意外なことを言った。私はなぜだか、どきりとした。 p.117 さすが『FUTON』の作者!ゴーゴリ「鼻」に『鼻行類』、芥川の「鼻」までこうも見事に使うとは。最初から最後まで鼻鼻鼻、鼻のオンパレード。と…
我々が過去を語る上で拠り所とする、自らの「記憶」とは、果たして本当に確かな「過去の蓄積」なのだろうか、と。 p.30 底の知れぬ深い、深い穴のほとりに立って、私の記憶が次々に放り込まれてゆく姿を想像する。 その記憶の穴の奥底には、私の失われた恋…
「ええ。でも、お義母さんの唄、覚えておきたくって。いつかまた、鼓笛隊が来たときのために」 「そうかい……。そうだね、あんたが受け継いでくれるんだね」 p.20 台風じゃなくて鼓笛隊が上陸してくる世界なんて!なんて奇抜!鼓笛隊の襲来がとある家族にも…
赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。 p.7
「だからね、ふぅちゃん。三十怖い病は二十代にかかるはしかみたいなもんで、三十前になるとあせりまくるけど、心配することはないんだよ。三十過ぎてからだって、なんとかなるんだから。ね。ましてや、二十五が結婚適齢期のリミットだったのは昔話だ。おバ…
その昔、二十五歳は女の分岐点だった。 p.5(「1 三十怖い病」より)