2008-01-01から1年間の記事一覧

初野晴「エレファンツ・ブレス」(『退出ゲーム』収録)

「た、たいしたことはないです。コンクールの会場で一瞬、静寂を与えた程度ですから」 だいたい彼女の性格は把握できた。 p.222 高校一年の秋:「結晶泥棒」 十一月上旬の冬:「クロスキューブ」 三月初旬:「エレファンツ・ブレス」穂村千夏(チカちゃん)…

初野晴「退出ゲーム」(『退出ゲーム』収録)

「え?詳しく聞きたい?話せば長くなるよ。長すぎて呆れるほどつまんない話になるけど」 「じゃ聞かない」 「待て」 p.125 「とくにフルートが耳障りだった。俺の妹のリコーダーのほうが千倍は上手い」 「……なんですって?」 「俺の親父の鼾のほうが、穂村…

吉田修一『元職員』講談社

「だって、この国に来てる奴なんて、みんな嘘っぱちでしょ?(中略)みんなここに来て、本当の自分偽って楽しんでんだから、それでいいじゃないっすか。 p.51 「ええ、嘘。……嘘って、つくほうが嘘か本当か決めるもんじゃなくて、つかれたほうが決めるんです…

吉田修一『元職員』講談社

背景の風景が、すとんと抜け落ちたような気がした。突然、断崖絶壁の先端に後ろ向きで立たされたような感覚だった。 p.3

吉田修一「恋恋風塵」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

何が悪かったのではなく、何が良かったのかを考えながら、終わる関係というのもあるのだろう。 p.148

吉田修一「旅たびたび オスロ」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

郊外の小さなカフェに立ち寄って、何を期待したというわけではなかったが、普通だなぁと、ふと思った。旅先で見つける普通というのは、なぜこんなにも愛おしいのだろうか、と。 p.100

吉田修一「自転車泥棒」(『あの空の下で』木楽舎刊より)

自転車がそこから消えたというよりも、自分自身がふっと消されたような感じだった。 p.19

堀江敏幸「トンネルのおじさん」(『未見坂』新潮社収録)

この靴、だれのなんだろう? 根ではなくその靴を見ながら少年は問いを呑み込み、おじさんのかけ声で一気に引くと、めりめり音を立てながらロープが伸び切ってぴんと張り、醜いかたまりがわずかに持ちあがった瞬間いちばん細いところがばきんと折れて、ふたり…

堀江敏幸「プリン」(『未見坂』新潮社収録) 

ひとにあやまるのって、どうしてこうむずかしいのだろうと、悠子さんはあらためて思った。龍田さんの言葉はただしい。潔癖で、正直で、気持ちがいい。けれど、受け取るひとによって、その前置きの部分に正反対の解釈がうまれるかもしれない。そういうことを…

堀江敏幸「苦い手」(『未見坂』新潮社収録)

肥田さんは勉強が「苦手」だった。「苦手」という言い方は、じつに便利で、しかも傲慢だ。中学高校を通じて、肥田さんには「苦手」でないものなど、ひとつもなかったからである。 p.54 「そういうときには、嘘でもなにか書き入れるものだよ。じゃあ、苦手な…

柴崎友香『星のしるし』文藝春秋

「なんもわかってへんな」 「わからなあかんこととちゃうからええねん」 「人生を損してるで」 「わたしは朝陽の知らんことをいっぱい知ってる」 「なにを」 「知らんから説明してもわかれへん」 「あっ、そうか」 p.106〜107 もしかして、神さまに祈ったり…

柴崎友香『星のしるし』文藝春秋

二階のベランダの手すりに腰掛けている二人が、こっちに向かって指差したように見えたので、あの場所から車の中にいるわたしのことは見えるんだろうかと、と思った。 p.3

斎樹真琴『地獄番鬼蜘蛛日誌』講談社

地獄に落ちた亡者が、生前に犯した罪の所為で此処にいるならば、地獄で亡者を苦しめる鬼は、生前の亡者に怨みのある者。それが地獄の規則なら、これはまさに現実。 p.13 そうするうちに不思議と、その蜘蛛が何かの遣いに思えてきましてね。化身ってやつでし…

斎樹真琴『地獄番鬼蜘蛛日誌』講談社

一日目 さて、何から書きましょうね。 この役に就いた抱負でも書けば宜しいですか。それとも生まれて初めて願いが叶えられたことに、感謝でもしましょうかね。 p.5

平安寿子『恋愛嫌い』集英社

女は初めての男を忘れられない――というのは、男が作った伝説だ。初めての男は、踏み台なのだ。しかし、それは女だけの秘密である。男に言っても信じない。男は総じて、夢想家だ。 p.32 (「恋が苦手で……」より) 幸福はべたに甘いだけだけど、不幸はいろん…

町田康『宿屋めぐり』講談社

そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか?そんなことでいいんですか? おそらくいいのだろう。嘘を言って人を騙さないとこの世の中を生きていかれないのだ。 そして騙される方もまた、嘘を嘘と指摘して周囲から遊離するのが嫌で、それを嘘と知…

椰月美智子「甘えび」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社   

まったく、うんざりだと思う。今見ているこのくだらないテレビ番組も、子どもの汚れた上履きも、夫の丸みを帯びた首も、鏡にうつる目尻のしわも。私はなんでこんなことに気付いてしまったんだろう。気付いてしまった自分にがっかりだ。 人は毎日生まれて、毎…

椰月美智子「七夕の夜」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

かなえはこの夜に、自分というものは自分でしかあり得ない、ということを悟った。たとえ自分で選択できなかったとしても、自分の気持ちだけは、他人に侵されないことを知った もちろん、そういうふうに意味付けできたのは、かなえがいろんなことを自分で選択…

椰月美智子「たんぽぽ産科婦人科クリニック」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

繭子は振り返って、たんぽぽ産科婦人科クリニック、と書いてある黄色い看板を眺める。そして、縮図、と声に出して言ってみた。 p.78

椰月美智子「城址公園にて」(『枝付き干し葡萄とワイングラス』収録 講談社)

一人になって困ることってなんだろう。こんなつまらないメールを返信してきた男がいなくなって困ることってなんだろうか? p.25

椰月美智子「彼女をとりまく風景」(『みきわめ検定』収録 講談社)

「えっ、なんで?」 と言ってしまった瞬間に、彼女は後悔した。男が別れると口に出したときは、すでにそれは決定されていることで、なにをどうしたって、くつがえされることはないことを彼女はよく知っていた。 「なんで、なんで?」 気持ちと言葉が必ずしも…

椰月美智子「と、言った。」(『みきわめ検定』収録 講談社)

「セミが鳴いてる、と、言った」 「えっ、本当?」 孝太郎は耳を澄ませてみる。でもセミの声は、ぜんぜんきこえなかった。防音ガラスが二重になっているし、このあたりは緑が少ない。でも、もちろん外ではセミが鳴いているだろうと思う。 「鳴いてるよ」兼治…

椰月美智子「死」(『みきわめ検定』収録 講談社)

彼女は、誰もいない隣のベッドを見た。そして、あることに気が付いた。そこは確かに静かだったけど、昨日までのほうが、もっとしんとしていたのだった。あの女の人がいたほうが、静寂だった。今は、ただの空っぽのベッドだ。おかしいところなんて、ひとつも…

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

アザミはそう答えながら、大人な返答をしている自分に我ながらゆるい違和感を覚えた。 p.133 5行目 なんであたしはこんなに自分のことがわからんのやろう。 p.133 15行目 「あたしの家のことなんか言い始めたらきりないしさ。それもあるし、なんやろ、友達…

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』角川書店

みんな出て行ってしまった。閑散としたスタジオの真ん中に置かれたパイプ椅子に座って、アザミは、ひっぱたかれた頬が今ごろひりひりと痛みはじめるのを感じていた。 p.3

畠中恵「餡子は甘いか」(『いっちばん』より)

どうして菓子屋に生まれたのに、ここまで向いていないのだ?いや生まれというより、菓子作りは栄吉がやりたい夢であった。なのに、いかに必死になっても、どうにもならない。努力が、気持ちが、見事なばかりに空回りしていく。 p.193 「いっちばん」、「い…

畠中恵「天狗の使い魔」(『いっちばん』より)

二人の姿を見て、心底ほっとしたのだ。何だかお菓子を貰ったちいさな子供のように、嬉しい。若だんなは兄や達の着物の端を、きゅっと強く掴んだ。 p.149

畠中恵「いっちばん」(『いっちばん』より)

「若だんなは栄吉さんが三春屋を離れて、寂しいんですよぅ」 「松之助さんも、嫁御と新しい店に行ってしまったし」 「だから、我らが慰めなくては」 「だからだから、若だんなの為に、お菓子を一杯用意しなきゃ!」 p.15

麻見和史『真夜中のタランテラ』東京創元社

……あなたもカレンも、ずっと踊り続けていました。でも志摩子さんはあの少女とは違う。カレンは呪われて踊っていたが、あなたは自分の意志で踊っていたんです」 p.299

乾くるみ『カラット探偵事務所の事件簿』1 PHP研究所

「だけど依頼人は、犯人を特定できるだけの情報を自分が持ってないからこそ、ここに調査を依頼しに来るんだよな。情報が足りてたら最初から安楽椅子探偵の出番はないし、かといって足りてなければ探偵も情報不足で推理はできない。考えてみれば矛盾してるよ…